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幼児期の英語洗礼

 幼児期の記憶が、大脳の片隅にしっかり存在しているという身近な例をもう少しあげてみましょう。
 こういう話を聞いたことがある。ある日本人が、仕事で海外勤務をすることになった。派遣先はフランスである。フランスといえば、その人は、ごく幼い時に父親の仕事の関係で、何年か住んだことがある。だが、記憶は薄れ、フランス語も完全に忘れていた。大学でフランス語を選択したときには、一からはじめたも同然だった。大学で習い覚えたフランス語で通じるだろうか。仕事ができるだろうか……。おそるおそる、首都パリに赴任した。フランス人と話してみる。まあまあである。ところが、会って話すフランス人がふしぎそうな顔でいう。「あなたのフランス語には、ほんの少しだが、マルセイユのなまりがありますね」。驚いた。幼時に家族とすごした土地が、マルセイユなのだ……。言葉は、使わなければ忘れてしまうが、舌がおぼえた発音は、話してみるとよみがえる。それを実証するような話である。(朝日新聞「天声人語」より)
 文豪森鴎外の孫にあたる、早稲田大学理工学部教授森常治氏は、若い頃アメリカ中西部のいなか町にあるスモール・カレッジの教員として滞在したことがあったそうです。当時5歳だった氏の長男は、その町の幼稚園に通いましたが、はじめは英語をしゃべらず、沈黙を守るのみでした。それが半年もすると、早口でまくしたてるほどの使い手になっていたそうです。その後帰国して英語を使うチャンスがなくなり、すっかり忘れたように思われていましたが、中学校で正式に英語を学ぶようになるとめきめき上達、早期英語教育の効果があらわれはじめたそうです。このような体験から森氏は、幼児英語教育はかくあるべしと、次のように提言しています。
 幼児の英語教育に、即効性を求めてはならない。大切なのは幼児期に学んだ英語学習のほのかな記憶、全感覚器官がおぼえているような記憶である。いや、学習といってはまずい。すべてが暖かみに包まれてみえる幼児期の世界の中で、かつておこなわれたささやかな英語体験とでもよぶべきものであろう。そして、このような幼児期における体験のさだかならぬ記憶こそ、何にもましてわれわれの一生を強烈に支配するものであることは、心理学者の説明を待つまでもなく明らかなことだ。カトリック教では、こうした幼児体験の重要性に着目して、なるべく幼いうちに信者の子どもに洗礼をほどこす。そして幼児洗礼をほどこされた人間は、いついかなる場所にあろうとも、無意識のうちに神を求めることが期待される。もちろん、洗礼をほどこされた幼児が、その翌日から立派なクリスチャンになるであろう、などどいうことは、ローマ法王であろうと期待しない。早期英語教育も、国際共通語である英語へのいわば「幼児洗礼」とみなしてよいのではあるまいか。


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