オンラインブック かしこい子どもに育てるための15章
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第1部 幼児の可能性

(5)言葉の大切さについて

イラスト 動物にくらべ人間は、言葉をもつことによってどれだけ進んだ文化と頭脳をもつようになったか計りしれないものがあります。

「はじめに言葉ありき」という聖書の言葉を持ちだすまでもなく、人間の文化は、言葉をもつことによって支えられてきたといっても言い過ぎではないでしょう。

そして、赤ちゃんにとっても、雑音のようなおとなの話が、言葉の発達や精神の発達の面では、とても大切な役割をはたすのです。それはホスピタリズム(施設病)という研究成果からも明らかです。

 つまり、赤ちゃんのころ、病院や施設にあずけられて育った子どもたちが、後になって精神発達が遅れ、とくに言葉の発達が著しく遅れることが解明されました。母親が赤ちゃんに話しかけたり、あやしたり、だっこしたりという母親らしい接触《マザリング》が、さまざまな能力の発達に大切な役割を果たしているということなのです。

 このことを裏づけるように、愛育病院の内藤寿七郎病院長の話によりますと、生まれてから1年ぐらいの間、両親の要望で赤ちゃんを預かることがあるそうですが、こういう場合、看護婦さんに、しじゅう話しかけるようにさせているということです。家庭で育った子と、病院や施設で育った子では、言葉の発達に相当のハンディがあるため、看護婦さんが話しかけることによって、少しでもその差をなくそうと心がけているわけです。

 私たちおとなは、言葉というものを無意識につかっているために、その大切な役割を軽視しがちです。しかし幼児にとっての言葉は、将来の精神生活を根底からささえる土台にあたるわけで、それを正しく学習しているかいないかが、後に大きな影響になって現れるようです。

 言葉が、幼児の知能の発達や成長にどんなに大切か、次の2つの話がよく伝えてくれています。

 18世紀プロシアという国の王さまに、フリードリッヒ2世という人がいました。この王さまは、言葉は教えなくても自然にでてくるものではないかと考えていました。そこで、国中から、家庭のない赤ちゃんを集めて、保母さんに子どもに話しかけることを一切禁止して育てさせたのです。その結果、子どもたちはどうなったでしょうか。なんにも言葉がでてこなかったばかりでなく、しだいに元気をなくして、ついには1年もしないうちに全員が死んでしまいました。

もうひとつは、有名なオオカミ少女の話です。

 およそ90年前、インドのカルカッタに近い小さな村で、オオカミの洞窟に人間の姿をした2匹の動物がいるというウワサがたちました。たまたまそこに、伝導師としてきていたシング牧師夫妻がこの話を聞き、2匹の動物をつかまえました。それがまさしく人間の女の子で、年齢はおよそ8歳と2歳と推定されました。2人はカマラとアマラと名づけられて、 夫妻のあたたかい愛情と忍耐によって、人間としての教育がはじめられました。

 ところが、赤ん坊時代をオオカミに育てられた彼女たちは、なかなかオオカミであることをやめようとしません。それでも夫妻の努力の甲斐があって、2ヵ月ほどで妹のアマラが「ブー」(水)という片言がいえるようになりました。とこうが、アマラは1年ほどで死んでしまいました。

 いっぽう姉のカマラは、3年かかってやっと2本足で歩けるようになりました。そして、人間社会にもどってから9年間、17歳で死ぬまで彼女の知能は3歳半程度、わずか40の言葉しかしゃべれなかったそうです。

私たちは、人間の子は人間であり、オオカミの子はオオカミだと当然のことのように思っています。しかし、生まれてすぐの環境、教育しだいで、人間の子がオオカミに転じてしまうのです。全くおそろしいことではないでしょうか。

2つの例からもわかることは、幼児は豊かな言葉のある環境から刺激をうけて、それに順応して成長していくものなのです。それはまさに、人間として生きていくための生命力といってよいかもしれません。


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