オンラインブック かしこい子どもに育てるための15章
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第2部 絵本のすすめ

(12)文字は教えないほうが良いのか?

 ところで、最近よく、学校にはいる前に文字を教える方がよいのか、悪いのかとさかんに論議されているようです。

「教えない方がよい」という意見は、〈文字は学校で習うものと国できめられている。小学校の先生に聞いてみると、文字をすでに知っている子どもは、真剣に先生のいうことを聞かずに授業をばかにするとか、文字に対する関心の高まりは、すでに知っている子より、知らない子の方が圧倒的に強いものがある。それだけ、文字に対する新鮮な感銘があるからだ〉とか、〈文字を知っている子の多くは、でたらめな筆順が固定してしまっているから直すのが大変〉といったものです。

 それでは、幼児に読み書きを教えることは悪いことなのでしょうか。この点につき、「落ちこぼれっ子英才塾」という本を著わした山内義一氏がユニークな見解を展開しているので、そのポイントを紹介してみることにしましょう。

 山内氏は、20数年間にわたる現場の教師としての体験の中から、日本の教育制度や、学校の授業があまりにも「できる子」を中心にした不親切な制度であることに強い不満をもち、〈落ちこぼれっ子〉を教育しようと思いたちました。そして、「成績不振児教育センター」を開設、それ以来〈落ちこぼれっ子〉の原因を調べながら、どうすれば、〈落ちこぼれずにすむのか〉を1万人以上の成績不振児を指導しながら考えつづけてきたということです。

「生れつきのく落ちこぼれっ子」はいない。わが子を〈落ちこぼれっ子〉に育てようと思う父母もまたいない。にもかかわらず、気がついた時には、〈落ちこぼれっ子〉よばわりされるようになり、心ならずも〈落ちこぼした親〉になっている」と述べ、小・中・高校生の99%が落ちこぼれパニックの中にまきこまれていると警告しています。そして、その致命的な部分が、国語力の欠陥にあり、その原因は家庭における幼児期の日本語教育の不毛にあると断定するのです。

「社会や理科は90%が国語だ。算数も50%は国語だ。応用問題ともなれば80%が国語だといっていい。英語も国語の文法がわからなければ、チンプンカンプンだ。だから、50%が国語だ。世の父母は、意外にこの文字や言葉、国語の指導を忘れているようだ。父母は、子どもの健康に気をつかうのと同じように、国語、日本語の指導をふだんの生活の中で行なっていなければならない。わが子の文字や言葉、国語は、幼稚園とか、学校とかに無条件でまかせるような雑件ではないのだ。父母が、家族が、生命とともに付与する重要な、根源的なものである・・・と。

イラストさらに氏は、幼児が文字をすすんで学んでいく過程には7段階あり、学校では文字指導で最も重要な第2〜6段階を完全にカットしていることを実例をあげて指摘、小学校教育は、子どもたちがひらがなや、カタカナをほぼ完全に身につけ、自由に使える状態に達したものとして主要プログラムが組まれていること。氏のいう第2〜6段階を、入学前なら3年、小学校でも半年や1年はやってもいいのに、学校の国語の授業時間は約1ヵ月、教科書にして20ページそこそこであることをあげて、「いくらマスプロ時代だといっても〈落ちこぼれっ子〉の大量生産なんて許せない」「文字は、学校が入門から完全に指導するなどというたてまえにだまされてはならない」と糾弾するのです。

 子どもは絵本などによって、文字というものがあるということに気がつきます。そして、これが学習しようというキッカケになり、その準備体制を自然におこすようになります。このことを教育心理学では、「学習のレディネス」とか、「読むことを学ぶレディネスの成熟をうながす」とかいいます。このような学ぶことの意欲が芽えている子どもには、読み書きを教えることは、むしろ望ましいことではないでしょうか。

 あるお母さんは、子どもの文字に対する興味をいち早く発見して、子どもの身のまわりにある品物に「テレビ」とか、「柱」「時計」「かべ」「くずかご」などと漢字や感じまじりの文字を書いたカードをセロハンテープではりつけてやったそうです。さらに、絵本にでてくる「ぞう」や、「きりん」や、「パンダ」あるいは、「シンデレラ」や、「あかずきん」などの物語の主人公などさまざまなことばを、絵入りカードにして、カルタとりをして遊んでやったそうです。すると子どもは、苦労なしに文字を習い覚えてしまい、あとは自分で絵本を読むなどつぎつぎに独力で勉強をすすめていったといいます。

 このように、子どもが自発的に勉強をすすめていく、あるいはそうせざるを得ないようにしむけていくことこそ、母親の役割だと思うのですが、いかがなものでしょうか。


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