
孫文に指導された革新勢力によって、清朝がたおされ、1912年中華民国がつくられました。この革命は辛亥革命とよばれていますが、大総統になった袁世凱が独裁政治をおこない、国民のための民主政権はできませんでした。
その後、孫文の後をひきついだのが蒋介石です。蒋介石にひきいられた中華民国政府は、とつぜん共産党員をおいだして国民政府(国民党)をつくりました。毛沢東のひきいる共産党員は、1万2000キロメートルにもわたる苦難にみちた「万里の長征」をおこない、延安にのがれました。

延安に根きょ地を築いた中国共産党軍は、中国に侵入してきた日本を破ることが先だと、国民党と和解して1945年、日中戦争に勝利をおさめました。しかし日中戦争が終わるとまた、国民党と共産党の対立がはげしくなったのです。
最初はアメリカの援助を受けた国民党軍が有利でしたが、国民の支持をえた共産党軍がだんだん力をもりかえし、ついに国民党軍をやぶりました。蒋介石は1949年、中国本土を捨て軍隊とともに台湾へのがれました。

民族の独立を勝ちとった中国は、1949年10月1日、毛沢東を主席にえらび、社会主義の中華人民共和国をつくりました。まずしさから解放された新中国の人びとは、働く者の国づくりに汗を流し、豊かな資源を開発して、国の近代化をすすめています。
黄色いかわらに、赤い城へきがはえる首都北京の天安門は、毛沢東が新しい中国の建国を宣言した城門です。古くて新しい中国の象徴といえるでしょう。天安門前の大広場は、休暇をたのしむ人や外国の観光客で、いつもにぎわっています。

後楽園球場の3倍もある、この天安門広場も、メーデーや新中国の誕生を祝う10月1日の国慶節には、数十万人の大群衆でうまります。祝日の夜は無数の花火が打ちあげられ、豆電球で飾られた天安門が、夜空を美しくいろどります。