
本州と九州は、3つの海底トンネルと、ひとつの大つり橋で、がっちりつながっています。1942年に開通した関門海底トンネル、1958年に完成した車道と人道の関門国道トンネル、1974年から新幹線が走りだした新関門トンネル、それに自動車専用の関門橋です。
むかしは、関門海峡を、人も車も連絡船で渡っていました。しかし、いまでは、人は歩いて、車は国道をつっ走って、海を越えることができます。また、新幹線は博多と東京間を7時間でむすびました。
1992年「のぞみ」開通により、5時間に短縮されました。

関門海峡から九州への入り口にあるのは北九州市です。この北九州市は、1901年から溶鉱炉の火が燃え続ける八幡製鉄所を中心にした、工業の都市です。巨大な製鉄所をはじめ、化学、ガラス、セメントなどの工場が、20数キロメートルの海岸地帯をうずめつくしています。
しかし、この北九州の工業は、最近では発展がやや足ぶみしています。工業用の燃料が石炭から石油に変わったことや、工業が製鉄に片よりすぎていることなどが、えいきょうしているようです。そこで今後は、新しい工業を起こしていく計画がすすめられています。

福岡市は、黒田藩の城下町だった福岡の町と、港町だった博多の町がひとつになってできた都市です。山陽新幹線の発着駅を博多とよぶのは、駅が博多の町のほうにあるからです。博多湾のむこうに波の荒い玄界灘をのぞみ、九州の政治や経済の中心地になっています。
1784年、博多湾の志賀島から、「漢委奴国王」ときざんだ金印が発見されました。また、菅原道真をまつる太宰府天満宮の近くには、むかし、中国や朝鮮などの使者を迎えた都府楼の跡が残っています。北九州は、ふるくからアジア大陸との交流の玄関として栄えました。

玄界灘にそそぐ遠賀川の流域は、筑豊炭田とよばれ、かつては日本の代表的な炭鉱地帯でした。しかし、エネルギー革命後は炭鉱の閉山が続き、炭田はさびれてしまいました。人のいなくなった炭鉱のあとには、ピラミッド形のボタ山が、さみしく残っています。
筑豊炭田の火は小さくなってしまいましたが、福岡県南部の大牟田市の周辺では、活発な出炭が続けられています。有明海の海底で、質のよい石炭がとれるからです。有明海の海上には、海底の坑内に新鮮な空気を送るための、人工の島が作られています。
有明海の海底炭田を含む「三池炭田」は、1997年に閉鎖されました。