レディバードブックス100点セット
 

 

スイスのロビンソン

 しけは1週間も続き、海はますます荒れてきました。私たちの乗った船は航路をはるかにはずれ、どのあたりにいるのかもわからなくなりました。
突然「陸だぞ」という叫びが聞こえました――しかし、そのとき船は暗礁にぶつかって沈みはじめました。
 上の甲板からは、叫び声と人の走る音が聞こえてきました。私は甲板に出ましたが、そのとき水しぶきを通して救命ボートの最後の一艘がおりていくのが見えただけでした。私たちはおいてきぼりをくったのでした。私は舷側にかけよると大声で叫びましたが、嵐の音にかき消され、水夫たちにはとどきませんでした。
 そのとき船は、もう完全に暗礁に乗り上げてしまっていました。これで沈没のおそれはなくなりました、そこで私は、引き返すと家族のみんなを落ち着かせました。一晩じゅう私たちは嵐の音をうかがっていましたが、それは次第におさまっていきました。次の朝、すべてが静かになりました。
風はやみ、海はおだやかになりました。
 救命ボートはもう一艘も残っていなかったので、私たちはボートをつくらなくてはなりませんでした。私たちは船の中をさがして、食べもの、工具、銃、それに動物たちまでもみつけました――その動物たちとは、犬が2匹、羊と乳牛とヤギが数匹、雌鶏が数羽、それになんとブタが1匹でした。
息子のフリッツ、エルネスト、ジャック、それに末っ子のフランシスが厚板と樽でボートをつくるのを手伝ってくれている間に、妻は動物たちにえさをやっていました。

 次の日の朝早く、私たちはへんな形のボートを進水させると、近くの島へ向けて、そろそろとこぎだしました。私たちは、そこを故国にちなんでニュ一・スイッツランドと名づけました。大きなヤシの木が風にゆれ、その下には草が青々としげっていました。
 私たちは無事に島に着いたことを感謝して神に祈りをささげると、積み荷をおろしはじめました。それから竿と帆布を使ってテントをはりました。
子どもたちが寝床用の乾いた草やコケを集めている間、私は海辺から持ってきた石で炉をつくり火をおこしました。妻はその火に大きなシチューなべをかけて、食事のしたくを始めました。

 それから、子どもたちは探検に出かけました。ジャックは潮だまりに大きなロブスターをみつけました――いや、ジャックがロブスターにみつかったと言った方がよいでしょう。 ジャックは足をガーッとはさまれて、私が斧でロブスターをなぐりつけなければならなかったからです。エルネストは岩についたイガイ(ムール貝)や二枚貝を集めました、貝がらはあとでスプーンに使いました。フリッツは銃を1丁持って狩にいきました。彼は、小さな野ブタをしとめ、船から流れだした木箱や樽が、ある入江に打ちあげられているという知らせをもたらしました。

 その夜、私たちはぐっすり眠りました。翌日、私がフリッツとチュルクという名の犬を連れて探険に出かけたときのこと、私たちはたくさんの見たこともない植物や果実をみつけたのです。その中には大きな木の実のようなものもあり、私たちはしばらくの間、それに手を加えて皿や椀をつくりました。
正午までに、私たちは島の全景を見下ろせる急な山の頂上にたどりつきました、ここは私たちが考えていたよりもずっと大きな島でした。ものの成育状態がたいへんよかったので、私たちは飢える心配のないことがわかりました。
 丘のふもとの湿地に、さとうきびが生えているのをみつけました。私たちが大きな束にして持っていこうとすると、サルの群がこっちに向かって叫び声をあげました。
 突然、ある考えが浮かびました。大きな石をひろい上げると、林の中へ投げました、するとサルたちは怒って、私たちにココナツを投げつけてきました。
私はそのココナツをいくつか拾いあつめ、フリッツはさとうきびを集めました、そうして私たちはそこをあとにし、家族のもとへ戻りました。
 森を通っていくと、1匹のサルが死んでいました、その死体にはサルの子どもがすがりついています。フリッツが彼らのそばにひざまずくと、サルの子はフリッツの背中にとび乗って彼の髪にしっかりとしがみついてしまいました。サルの子はとても臆病になっていて、どうしてもはなそうとしません、そこで私は、とうとうサルの子をやさしくたたいて安心させてやらねばなりませんでした。
 フリッツはサルの子をかかえたのですが、他にもたくさん荷物があったので、すぐに疲れてしまいました。そこで彼は名案を考えました。ロープを取るとテュルクの首に巻き、それからテュルクの背にサルの子を乗せました、サルの子は私たちが帰りつくまでずっとデュルクの背に乗っていました。

 私たちがみつけてきたいろいろなものは、家族のみんなを喜ばせ、新しく仲間入りしたペットもみんなにかわいがられました。
妻はみごとなごちそうをつくって私たちを待っていてくれました、彼女はフランシスがとった大きな鳥を火にかけているところで、スープも大きな鍋いっぱいにできあがっていました。
翌日、私たちはもう一度難破船に行くことにしました、まだたくさん役に立つものが船上に残っているからです。妻とまだ小さなこどもたちは浜に残しておいて、私はフリッツと船の方へこいでいきました。まず船に残しておいた動物たちにえさをやり、それから私たちは船内をくまなく見てまわりました。私たちの小さなボートにたくさん積んだため、それは今にも沈みそうでした。
すぐに夜になったので、私たちは次の日まで船にいました。さて今度は、どうやって動物たちを上陸させるかです、動物たちが岸まで泳いでいけないのは明らかでした。しばらく考えてから、私たちは動物に小さな樽をゆわえつけると海に押しだし、ボートのうしろにつないで岸まで引いていきました。
動物たちは岸に着くと大喜びでした。私と子どもたちが彼らの救命具をはずすのに苦心している間に、妻は自分でみつけてきた海ガメの卵ですごく大きなオムレツを焼いてくれました。
私たちの留守に、妻と子どもたちは大木が何本も生えているところを発見したのでした、妻は木の上に家をつくったらどうかしらと言いました。
動物たちを全部集め、私たちの荷物をまとめて出発するまでに、かなり時間がかかりました。

 その大木の大きいことと言ったら、私が生れてはじめて見るほど大きなものでした。家をつくりはじめるにはもう遅かったので、その夜は船から持ちかえったハンモックをつって休みました。
 次の日の私の最初の仕事は梯子づくりでした、というのは、私が家をつくることにきめた木の枝は、一番低いところでも地上から40フィート(約12メートル)上にあったからです。それから切りとってきた竹を使って、手ばやく弓矢をつくりました。私は妻がくれたひと巻の木綿糸のはしを矢に結びつけ、そして注意深くねらいを定め、枝を越えるように矢を放ちました。糸に細いローブをつないで、これを枝にかけました。これでやっと私たちは縄梯子をかけることができたのです。
私がこれをしている間に、子どもたちは梯子の横木に使う太めの竹を切ってきました。梯子はただちに固定され、それで木の上で家づくりを開始することができました。
 私がフリッツと高い木の上で作業をしている間、妻と他の子どもたちは浜辺に行って、木材を取ってきました。家づくりには数日かかりました。そして、ついに私たちの新しい家は完成したのです。
 その夜.みんなが上にあがってから、私は縄梯子をひき上げました。島に着いて、初めて私たちは安心して眠ることができたのです。

 翌日の昼食のとき、私たちは今までに発見したそれぞれの場所に、名前をつけることにしました。まず最初に、上陸した場所に名前をつけました。しばらくの間、みんなで意見を出しあったところで、妻が「プロビデンス・ベイ(神の入江)」がいいわと言いました。私たちが最初泊まった場所は「テント・ハウス」と呼ぶことになりました、それから私たちは、この新しい家をなんと呼ぶかについて長い時間話しあいました。
 エルネストは「木のお城」 がいいと言い、フリッツは「ワシの巣」にしようと言い、ジャックは「イチジクの町」がいいと言うのです。私はみんなの意見をまとめて、「タカの巣」と呼ぶことに決定しました。
 小川にも「ジャッカル・リバー」と名前をつけました、そこで私たちがジャッカルを見たからです、また近くの沼には、そこに巣をいとなんでいる鳥にちなんで「フラミンゴの沼」と名前をつけました。最後に、となりの小島を「サメ島」と命名しました、その付近にサメがいたからです。
 その日の午後遅く、涼しくなってから、私たちは食料やその他の物資を置いてあるテント・ハウスに向けて全員で出かけました。フリッツは火薬と弾丸が必要でしたし、妻は岸に打ち上げらていた樽に入っていたバターが必要でした。

 私たちは出発しました。年長の息子たちと私はそれぞれ銃を持ち、末っ子のフランシスは弓矢を持っていきました。犬たちとデュルクの背中に乗ったサルの子を先頭に、私たちは進みます、うしろからは人なつこい1羽のフラミンゴがついてきました。

 海岸まで半分くらいの距離を来たところで、エルネストが興奮してみんなを呼びました。一面じゃがいもが生えているのを発見したのです。私たちはしばらくそこでじゃがいもを掘り、持ってきた袋をいっぱいにしました。小川づたいにサボテンが生え、珍しい植物が育っていました、それにおどろいたことに、岩かげにはパイナップルまでありました。
 ジャッカル・リバー、そして海岸に着くまでに、私たちはすでにもうこれ以上持てないくらいにたくさんの荷物をかかえていました。
 海岸には私たちが置いておいた荷物がそのままになっていました。妻はバターの樽をさがし、フリッツは火薬をさがします。エルネストとジャックは、カモとガチョウをなんとかつかまえようとするのですが、鳥たちは少し荒々しくなっていて、彼らに近づくことさえできませんでした。エルネストは、1本のひもにいくつかのビスケットを結びつけて水中に投げました。彼は、鳥たちがビスケットを食べようとするたびに少しずつ自分の方へ引きよせて、うまくつかまえました。
 荷物を全部持って、タカの巣へ帰ることは簡単にはできそうにありませんでした、そこで私はロバに引かせるそりをつくることにしました。翌朝、私はエルネストといっしょに浜辺で木材を集め、釘を使って組み立てました。先端に2本のロープを結びつけて、私たちのそりは完成しました。私たちはそりにバターの樽と火薬の樽、それに数個のチーズの桶をのせました。

 タカの巣まで半分ほどもどったところで、犬たちの1匹が、私たちのいるところからとびはねて逃げていく、まったく奇妙な動物を追いかけました。それは私たちが初めて見る奇怪な動物でした。長いしっぽに大きなうしろ足、それにひきかえ、前足はずっと小さいのです。それはアカカンガルーでした。
 坐礁した船はまだ沈んでいなかったので、私とフリッツは何か使えるものがないか見にいきました。私たちは船まで5、6回いきましたが、最後に行ったとき、フリッツが船倉で帆かけ船をみつけました。それは部品のままで、組み立てなければならないものでした。
 その小さな船を組み立てるのにずいぶん日数がかかりました。組み立て終ってみると、それはかなり大きかったので、外に出すためには船倉の横腹に爆薬で穴をあけなければなりませんでした。
 新しい船にはマストと帆があって、船首には2門小さな大砲がついていました。私たちはすばらしい小船を手に入れたのです。
 さて、再度森を探険しておいた方がよさそうです。午前中私たちは、いくつもの奇妙な鳥や植物を発見しました。昼食後は、非常に変った実のなっているやぶをいくつかみつけました、その実は私たちの指にくっついてくるのです。それはキャンドルベリーでした。私たちは家にもどると、この実をなべいっぱいに入れ、火にかけてろうが全部とけるまでゆっくりあたためました。
 妻は帆布の切れはしからひき抜いた糸で灯芯をつくりました。この芯をろうにひたしてから固まるまで冷しました。そしてくり返し何度もろうにひたし、私たちは太いろうそくを何本もつくりました。ろうそくは力強い明るい光を放ちながら燃えました。もう、日が沈んだらすぐにベッドに入らなくてもよくなったのです。

 船には、私たちが目的地についてから植えるはずだった果樹の苗木がたくさん積んでありました。すばらしい気候にめぐまれて、これらの苗木は非常にはやく育ちました。私たちは、テント・ハウス近くにオレンジとレモンの木を植えました、そして、こことタカの巣との間に果樹の長い並木をつくりました。この並木は単に果物を取るためだけではなく、強烈な日ざしをさえぎってくれる日陰の散歩道になってくれることも考えてありました。枝にとげを持った木を使って、動物たちが迷い出ていかないようにいけ垣をつくりました。
木を植えたり土を掘ったりしながら、私たちは万一何者かが攻撃してきたときに備えて、私たちのすみかをもっと安全にした方がよいと考えました。

 私は川に近い2か所の小高い丘の上に、坐礁した船からもってきた大砲を2門すえつけました。川にはすでに橋がかけてありました。しかし、それではたやすく川を渡られてしまうので、上げ下げのできるようにはね橋につくりなおしました。
 これらの改良にはおよそ6週間もかかり、おかげで私たちの服はほとんどすり切れてしまいました。難破船には船員用の服がたくさんあることがわかっていたので、私は息子たちと出かけました。数日かけて私たちは、衣服とその他役に立ちそうなものをいっぱいつめた大箱をいくつも運びました。

 使えそうなものをすべて船から運びだしてしまうと、私は船を爆破することにしました。風と波によって板や木片が岸にうちあげられることはわかっていましたし、私はそれらを集めておけばそのうち役に立つと考えたのです。
私たちは火薬のたるを1つ、船倉の底にころがしていき、それに数時間燃えるような長い導火線をとりつけました。点火すると、急いで島に引き返しました。夕食をすませてから私たちは丘の上へのぼりました。ちょうど暗くなりかけたとき、ものすごい爆発がおこりました、閃光が夜空をつらぬきます。船はあとかたもなくとび散りました。

 森で手に入れたいものがいろいろあるので、翌朝私たちは総出で探険に出発しました。果樹のささえにするための竹が必要だったのと、ろうそくや砂糖の備えが残り少なくなってきたので、もう少しキャンドルベリーと砂糖きびが必要だったのです。例のそりは荷車につくりかえてありました、そこで私たちは荷車に牛とロバをつけて出かけたのでした。
 昼から私たちは入用のココナツやキャンドルベリーを取ったり、砂糖きびや竹を切りだしたりしてすごしました。

 日が暮れてくると、私たちは木の枝と帆布で小屋をつくりました。夜はここですごすつもりでした。
 そのとき、ロバが何かにおどろきました。いなないたかと思うと森の中へかけだしていって、どこかへ見えなくなってしまいました。その晩私たちはロバをみつけだすことができませんでした。次の朝、私はジャックといっしょにロバの足跡をたどって、何マイルも行きました、そして私たちは背の高い草がしげっているところまできました。草をかきわけて進むうちに、突然野生のバッファローの群に出くわしました。
彼らはこちらに向きなおりました。ねそべっていた連中ものっそりと起きあがります。私たちは静かに立ち去るつもりでいました、と、そのとき、犬たちが長い草をかきわけてとびだし、1頭の子牛をつかまえてしまったのです。バッファローたちが襲いかかってきます。私たちは危ないと思いました。銃をかまえると2人とも発砲しました、群は子牛を残して、逃げていってしまいました。私ちは子牛にロープをかけて連れていきました。ロバはかげもかたちも見えませんでした、私たちは、どこかへ行ってしまったものとあきらめることにしました。
私たちは暗くなる前にみんなのところへもどると、フリッツがワシの子をつかまえたことを知りました。子どものワシは容易に人に慣れます、私たちは.そのワシが訓練すれば獲物をとってくれるだろうと思いました。

 その夜は野営をし、翌朝、私たちはタカの巣に帰るために出発しました。バッファローの子を牛のとなりにつなぎ、この2頭が荷車を引きました。
犬たちは先を走っていきます。突然、私たちは奥奮してほえる犬の声を聞きました。急いでかけつけた私たちは、2、3日前にいなくなっためすの親ブタがそこにいるのを発見しました。そのかたわらに6、7匹の子ブタがいました。私たちはブタの親子をタカの巣へ連れ帰らず、そっとしておくことにしました。
私たちがタカの巣で不便を感じていたことの一つは、縄梯子ののぼりおりでした。私は誰かが足をすべらせてけがをするのではないかと心配でした。妻は、木の幹が一部空洞になっていることに気がついていました。もし幹の上の方までずっと空洞になっていれば、家に上る階段をつくることができます。
 次の日私は見にいって、幹全体が空洞になっていることを発見しました。階段をつくることはそれほどむずかしくありませんでした。まず私たちは、入口の部分に穴をあけ、船からはずしてきたとびらの1つを取りつけました。階段ができあがると、私は木に窓を3つ開けました。完成までに3週間かかりました。

 このころまでにヤギが2匹の子を産み、羊が5匹の子を産んでいました、それに犬の1匹が子を産んでいました。
 私たちは少しずつ子どものバッファローを慣らして、背に荷物を乗せて運べるようにしました。子どもたちも馬に乗るように、子どものバッファローに乗ることを訓練しました。フリッツはワシの訓練に余念がありません。
 私たちの農場は、次第に大きくなっていきました。ある日、ロバが野生の仲間を連れてもどってきました、私たちはこの野生のロバをつかまえて慣らしました、40羽のひよこもかえりました。動物たちを入れる納屋を建てる必要がありました、なぜなら、雨季が近づいていたからです。冬にそなえて収穫をしたり、雨季の間に育つように作づけもしなければなりませんでした。
私たちがこれらの準備を終るか終らないかのうちに嵐が始まりました。ものすごいうなり声をあげて風が枝を引き裂き、雨は家の中まで吹きこんできました。私たちは木の上の家を出なければなりませんでした、そして、動物たちといっしょに冬の生活を送りました。
船が難波して以来、初めて私たちは不安な気持にさせられました。まともな暖炉がなかったので、小屋の中を暖かくしておくことができませんでした、それに動物たちは、冬用のえさをすぐに食べつくしてしまい、私たちの食料から彼らの分を出さなくてはなりませんでした。夜が長く、昼が短い冬の時期が、終りなく続くように思われました。
 冬が終るとテント・ハウスは吹きとばされ、私たちのたくわえの大部分がだめになっていることがわかりました。次の冬に備えて、安全で乾燥した家が必要になるのは明らかでした。海岸沿いに何マイルもさがしたのですが、適当な洞窟はみつかりませんでした。そこで子どもたちが、崖に洞穴を掘ったらどうかと言いました。

 私はプロビデンス・ベイを見下ろす見晴らしのよいところを選んで、ただちに掘りはじめました。2日後、穴はそれほど大きくなっていませんでしたが、岩は前よりもやわらかく、掘りやすくなってきました。さらに数日後、ジャックのバール(かなてこ)が岩を突きとおしました。奥が空洞になっていたのです。急いで私たちは穴をひろげました。中は水晶が並ぶまったくみごとな洞窟でした、ろうそくの灯をうけて、それは一千個のダイヤモンドのようにきらきら輝いていました。

 ここが私たちの新しい冬のすみかになるはずです。夏場はタカの巣で生活し、冬場はこの洞窟ですごすのです。洞窟は非常に大きかったので内部をいくつかの部屋に仕切り、あかりが必要なところには窓をあけました。船の木材を利用し、数か月かかって、たいへん住み心地のよい家をつくりあげました。

 洞窟の家をつくっている間に、ニシンの大群が入江にやってきました。ニシンをとるのは簡単で、私たちはそれを塩水につけて保存しました。それからおよそ1か月すると、鮭が産卵のために川を上りはじめました。鮭は大きすぎて、釣糸では手におえません、そこでジャックは細いロープを矢に結びつけて、鮭をとりました。
 その年最初のにわか雨が降り、私たちは雨季が近いことを知りました、まだ収穫は全部終っていませんでした。それからの数週間はとてもいそがしいものでした。雨季がやってくるまでには収穫は完了し、畑は耕して翌年のための種まきも終っていました。

 二度目の冬は、前の年にくらべてはるかに快適なものでした。冬の間に私たちは洞窟にたくさんの改良を加えました。私は大きな船用のカンテラを滑車で天井からぶら下げ、壁ぎわにみんなで本棚をつくって船から持ってきた本を全部置きました。船から持ってきてまだ開けてなかった箱の中から、鏡や時計をはじめ、あらゆる家具がみつかりました。私たちが「ロック・ハウス」と名づけた洞窟で、時はまたたくまにすぎていきました。

 ふたたび春がやってきて、私たちは嵐で被害をうけたものの修理にとりかかりました。ある日の午後、フリッツは何かがこちらへやってくるのに気がつきました。とにかくそれはものすごい土ほこりをあげています。わが家の動物たちはすべてうまやにいました。なにやら非常に奇妙なものです。私は洞窟にもどると望遠鏡を持ってきました、見ると、そいつは足のない緑がかった胴をしていました。蛇だ!

 それは巨大なものでした。私たちは大急ぎでロック・ハウスにかけこみ、窓から銃をかまえました。あまりのおどろきに誰も口をききません。やがて大蛇が近づいてくると、フリッツと私は慎重にねらいを定め、蛇の頭に弾丸をうちこみました。蛇はものすごい勢いで空中にとび上ると、しっぽをはげしく振り、ついに倒れて死にました。

 私たちはどこかに蛇の巣があるのではないかと心配しました。もし子どもの蛇がいたりして、大きくなってからおそってこられてはたまりません。私たちは巣をさがさなくてはなりませんでした。
 2日後、私たちは蛇の巣を発見するためと、島の残りの部分を探険するための、大がかりな捜索に出ました。私たちは軍隊なみに、3週間は十分もつだけの食料や物資を持って出発しました。
 蛇の通った跡は、全然みつかりませんでしたが、砂糖きびの畑を通過するときに、かさかさという音をききました。犬たちはほえはじめ、私たちは銃をかまえました。砂糖きびのしげみから出てきたのは、野ブタの親子でした。私はそのうちの2匹をしとめました、子ブタはいいハムとべーコンになるからです。1匹の皮をはぎ、臓物を抜きとってから塩水にしばらくつけ、保存がきくようになるまで火にかざして燻製にしました。
 フリッツはもう1匹を、南洋諸島の住民たちがやるように料理しました。フリッツは弟たちといっしょに深くて丸い穴を掘り、そこに火をおこしました。火が十分おこると、子どもたちは大きめの石を火に投じて焼きました。フリッツはブタに塩をすりこみ、腹にじゃがいもを詰めてから、大きな葉でくるみました。それを穴の中に入れ、上からさらに焼けた石でおおいます。そのまま2時間蒸し焼きにして、彼はみんなにとてもおいしい食事を提供してくれたのです。

 翌日捜索を続けていると、私たちは広大な平原のふちに、蛇の通った跡を発見しました。
 平原を横切ると、その先は砂漠でした。小高い丘の上からフリッツが私を呼んで、馬に乗った人影が見えると言いました。私は急いで望遠鏡でのぞきました。それは馬に乗った人ではなく、一列になってこっちの方へ向かって走ってくるダチョウでした。ダチョウが巣にもどるのを見たので、1羽つかまえようと決めました。

 ダチョウは馬などよりも、もっと速く走れることを私は知っていました。私たちはさとられないように、こっそりダチョウに近づきました。犬たちは口論をはめ、フリッツのワシもくちばしをゆわいておきました。ダチョウにけがをさせたくなかったのです。ダチョウは私たちに気づくやいなや、一目散にかけだしました。犬たちがあとを追い、ジャックはワシを放ちました。ワシは1羽のダチョウのまわりをぐるぐる飛んでダチョウを円形に走らせます。そして大きな翼の一撃でダチョウをなぐりつけました。びっくりしたダチョウが立ち止まりました、ジャックがダチョウの足に投げ縄をかけ、ダチョウは私たちのとりこになりました。私たちは家にもどったらふ化させようと思って、ダチョウの巣から卵をいくつか取ってきました。
蛇の巣の捜索は長い間続きましたが、巣は発見できませんでした。

 ついに私たちは洞窟に帰り、ダチョウの訓練を始めました。それには数か月かかりました。最初のうちは荒々しくて、私たちが近づこうものなら、蹴とばしたりくちばしでつついたりしました。少しずつダチョウは慣れてきて、背に少量の荷物をのせられるまでになりました。そこで私たちはダチョウ用の鞍をつくり、彼は子どもたちを乗せて、ものすごいスピードでかけまわることができるようになりました。

 また冬がやってきました、私たちは洞窟で暮さなければなりません。フリッツが小さな船をつくろうと言いだすまで、初めは1日1日がとても長く感じられました。フリッツはエスキモーが使うようなカヤックをつくりたかったのです。
 私たちは仕事にかかりました、海岸でみつけたクジラの骨を枠に加工しました。そこへいぐさを編みました。それから縫い合せたアザラシの皮を枠にかぶせました。縫い目は木から取った樹脂で防水しました。中に小さな座席を取りつけ、竹を使って水かきのついたかいをつくりました。仕上げが終っても、風がやむまで私たちは外でカヤックを試すのを待たなければなりませんでした。

 カヤックをつくろうと言いだしたのがフリッツだったので、天気がよくなったら、最初に彼が海に浮かべて乗ることになっていました。とうとう太陽がふたたび顔を出しました、カヤックがコルクのように軽快に波を乗りこえて進むのを知って、フリッツは喜びました。カヤックは最高のできでした。
 10年の月日が流れ、息子たちは強くたくましく育ちました。わが家の動物たちは増え、私たちは島の奥の方にもいくつか農場をはじめました。そのうちの1つで作物をつくり、その他の農場に家畜を放しました、家畜は増え、まるまると太りました。家畜が野生の獣におそわれることもありました。そのたびに私たちは散りぢりになった家畜をかり集めに出かけ、家畜を追い散らした獣をしとめなくてはなりませんでした。
 息子たちも立派な若者となった今では、しばしば1人で探険に出かけるようになりました。あるときフリッツはカヤックに乗って川をさかのぼり、はでな色の鳥や動物がたくさん住む深い密林を発見しました。象の群がいました、象はとても大きく、木々の枝を引き裂いてはまるごと口に入れていました。

 もっと遠くの方には、りゅうとした身なりのパンサーがゆうゆうと森の中を歩いているのが見えましたし、川の中には大きなカバがいました、フリッツの小さなカヤックなど、簡単に沈められてしまいそうです。
 また別のときに、フリッツは沖の方に見えている島々を探険に行ったこともありました。フリッツがもどってきたとき、カヤックは毛皮をいっぱい積んで重くなっていました。カヤックの中から彼はふくろを取りだしました。それには、彼がみつけた二枚貝の群生地からとってきた真珠がいっぱいつまっていました。最後に彼は奇妙な布切れを私たちに示しました。カヤックに飛んできたアホウドリの足に結びつけてあったというのです。
 その布切れにはこう書いてありました「救援請う。スモーキング・ロックにいる難破船の乗員を救援されたし」
 フリッツが手紙を書いて足に結びつけるとアホウドリは空にはばたき飛んでいったのでした。難破船の船員がどこかにいるということがわかりました。たぶん私たちと同じ船に乗っていた人でしょう。
 船員がいることを知って、私たちは彼をさがしに出かけるため慎重に準備を進めました、ついでに毛皮と真珠をもっと取ってくることにしました。フリッツは助けた船員を乗せるため、カヤックにもう1人分座席をつくりました。もう1つの船の方にはたっぷり食料を積みこみました、こうして1週間後、私たちは犬も連れて出発しました。
 私たちは島々の岸に沿って、1日心をおどらせながら、航海を楽しみました、そしてちょうど夕暮れとともに、フリッツが二枚貝をみつけた入江に到着しました。私たちは上陸し、夕食をつくりました、それから大きく火をたいて、獣が近づかないようにしました。その後、私たちは船にもどって休みました。
 翌朝、早く起きてすぐに私たちは二枚貝を集めました。集めた貝を砂浜にころがしておきました、こうすると、太陽にあたためられて貝がらが開くのです。中から出てきた真珠は、今の私たちにとってはほとんど価値はありませんでしたが、美しいものでした。もし私たちが助けられることがあれば、それらの真珠は富をもたらすでしょう。

 その夜もまた海岸に大きくたき火して、私たちが舟にどっている間、犬を放して警戒にあたらせました。私たちが寝ようとしたちょうどそのとき、おそろしいほえ声が森をゆるがせました。犬たちはおびえ、私たちもみんなちぢみあがりました。いまだかつて聞いたことのないほえ声でした。もう一度、ほえる声がずっと近くで聞こえました。そのとき.森からとびだした1頭のライオンがたき火のあかりにてらしだされました。
 あれほど大きなライオンを見たのは初めてでした、ライオンは火を見て怒り狂いました。波うちぎわへまわると、私たちにとびかかろうとして身体を小さくしました。突然そのとき、1発の銃声がひびきました。ライオンは叫び声をあげて空中にとびあがると、砂の上に倒れて死にました。フリッツが私たちを救ったのでした。
 私たちはその夜、まんじりともしませんでした。翌朝フリッツは、1人で難破船の船乗りをさがしにでかけました。その日の夕方になっても、次の夜になっても、彼はもどってきませんでした。私たちはさらに2日待ってから、彼を捜索にでかけました。
 1時間ほどして船が何か岩とおぼしきものにぶつかりました。それはクジラで、逆に私たちを攻撃してきました。ジャックが大砲を1発うつと、クジラは海中深くもぐりました。ふたたびクジラが姿をあらわすと、ジャックがもう1発うちました。クジラはそれっきりどこかへ行ってしまいました。
息子たちは元気づき、1人がボートに乗った奇妙な人影を発見しました。ついに原住民に出会ったのかと私たちは思いました。

 私は白旗を振りました。相手は船をとめて、私たちを見てからこちらに向かってこいできました。それは原住民ではなく、顔を黒くぬったフリッツだったのです。彼は私たちの砲声をきいて海賊がきたと思い、変装しておどかし、追いはらおうと考えたのでした。
 そう言うとすぐに、彼は1つの小さな島までついてくるように言いました。私たちが海岸につくと、木立の間に木の葉や枝で作った小屋が見えました。フリッツは小屋の中に入ると、1人の娘の手をひいて出てきました。
 彼女はジェニー・モントローズといい、イギリス軍士官の娘でした。英国へ帰る途中、彼女の乗っていた船が2週間続いた嵐で航路から遠くはずれて流されてしまったのでした。船は沈没し、ジェニーだけが助かったのでした。3年間、彼女は小島で1人で暮していたのです。
その日の午後、私たちはロック・ハウスへ向けて出発しました、途中で二枚貝の入江で1泊し、それからジェニーを私たちの家に連れてきました。
 また雨季がやってきて、すぎていきました。春のある夕方、ジャックとフリッツは、しばし2台の大砲の手入れをしていました。仕上げに彼らは2発大砲をうちました。1分ほどして、それに答えるかのように砲声が3発、海の向うから鳴りひびきました、しかし何も見えません。朝までずっと待って、私たちはふたたび大砲をうちました。数分すると答がありました。砲声が7発、霧の向うからきこえてきました。
 フリッツと私はカヤックで出発し、1時間近くさがしました。ついに、ある入江にイギリスの旗を掲げた船をみつけたのです。

 私たちはロック・ハウスにもどり、一家全員を小船に乗せてこぎだしました。船長はおどろき、よろこんで船に乗せてくれました。彼はジェニーをさがしにきていたのでした、そして、誰でもヨーロッパまで乗せていってあげましょうと申し出てくれました。
みんなは国へもどることについて、長い間話し合いました。ニュー・スイッツランドの生活はすこぶる快適だったので、私は妻とここに残ることに決めました。
 ここは美しい島で、私たちは牛も羊もたくさん飼っていました。
 息子たちは、それぞれどうするか決めなければなりませんでした。ジャックとエルネストは残ることにしました。フランシスとフリッツはヨーロッパへ船でもどることにしました。

 船長と船に乗っている人が私たちの家を訪れたとき、乗客のうちの3人が島を非常に気に入り、私たちといっしょに、ここにとどまる決心をしました。
 出帆前夜は誰もぐっすり眠れませんでした。
夜明けに、船の大砲が乗客に乗船を知らせるためにとどろきました、私たちは、フリッツとフランシスとジェニーにさびしくお別れを言いました、たぶんこれでもう会うことはないのです。
「神のみ恵みがありますように」船がゆっくりとプロビデンス・ベイを出ていくのを見送りながら、私たちは叫びました。


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