レディバードブックス100点セット
 

 

二都物語

 1775年の11月の霧 の深い夜のことです。疲れきった馬がドーヴァー港に通う郵便馬車をひいて、シューターズヒルをあえぎあえぎのぼっていました。御者台では、御者がラッパ銃で武装し、強盗の襲撃を警戒していました。視界は1ヤードもありませんでした。乗客たちは馬車を軽くするために降りて、長靴で泥んこのなかを歩いていました。
突然、霧のなかから、全速力で馬を走らせた男があらわれました。
「止まれ。さもないと撃つぞ」 と、御者は怒鳴りました。
「乗客に用があるのだ」
「どういう客だね」
「銀行家のジャーヴイス・ローリィさんだ」

 乗客の1人が震え声で言いました。「ジェリー、どうしたのかね」 彼は御者の方を向きました。
「大丈夫ですよ、私の知り合いの者です」
御者はラッパ銃を下げました、乗客たちは、あわてて長靴にかくした時計やお金を取り出そうと、長靴の中をさぐりました。
ジェリーはローリィに1枚の紙を渡しました。それには 「ドーヴァーでお嬢さんを待て」 と、書いてありました。
ローリィ氏は不思議な答えをしました。「私の返事は『復活せり』だ」
「たいへん奇妙なお答ですね」 と、ジェリーは不機嫌そうに言いました。
そして、私たちが後でわかるように、それは奇妙な答でした。

 ドーヴァー港の陰気な宿屋で、2本の背の高いローソクの光のなかで、ローリィ氏は 「お嬢さん」 に会いました、彼女は金髪で、いぶかしげな青い目をした17歳の美しい少女でした。
彼女はルーシー・マネットという名前で、ローリィの古い仕事仲間の娘でした。彼は、ルーシーが赤ちゃんのころ、フランスからイギリスへと連れてきたのです。彼女は自分は孤児だと思っていました。
さて、ローリィ氏は彼女に、父親が生きているということを告げなければなりませんでした。彼は18年間も、パリにある恐ろしいバスディーユ監獄に閉じこめられていて、誰にもその行方はわからなかったのです。今やとうとう、彼は発見され、自由の身になったのでした。

 「彼はみつかったのです。すっかり変りました。ほとんど廃人同様です。私たちは彼に会いにパリへ行くのですが、あなたは彼をよみがえらせなければなりません」
ルーシーは、自分にこのようなおどろくべき知らせをもたらした、この茶色の服をきちんと身につけ、かつらを着けたきちょうめんな老紳士をおどろきの目でみつめました。彼女はショックで青ざめて震えていました。
「私は父の亡霊を見にいきましょう。父ではなく、彼の亡霊でしょうから」 と、彼女は悲しげに言いました。

 ローリィ氏は銀行の仕事でパリに行かなければならなかったのです。しかしながら、彼とルーシーはパリの貧しい区域に入りこみました。道は曲がりくねり、あたりはひどい臭いがしていました、ボロを着、お腹をすかした人びとが、狭い路地を野獣のようにうろついていました。店にもほとんど食べものは並んでいませんでした。
彼らが石畳の道を通りかかったとき、荷馬車からぶどう酒の樽が転がり落ちて、くるみのように割れてしまいました。すぐに人びとが殺到して、地面がぬかるんでいるにもかかわらず、そこらへんにあるもので、なかには自分の手で、そのこぼれたぶどう酒をすくいとりました。それはまるで競争のようでした、しかし、ぶどう酒は彼らの口を赤く染めたので、彼らは恐ろしい形相に見えました。汚れたナイトキャップをかぶった背の高い男が、ぶどう酒に染まった指で壁に 「血」 と落書しました。パリのこの地区では今にも騒動がもちあがりそうでした。
ルーシーとローリィ氏は、近くの酒場に急いで入りましたが、その店の主人は、ドファルジュという、ずんぐりした体つきの意志の強そうな顔をした男でした。彼の妻ドファルジュ夫人はカウンターで編物をしていました。彼女の小さくて光る目は何ものも見逃すことはないかのようでした。
ひとりの客が 「この辺のみじめなやつらときたら、ぶどう酒だって何だって味わう機会なんてめったにないからな、黒パンと──死の味以外はな、ジャック」 と、言いました。
「そのとおりだ、ジャック」 と、別の男が言いました。

 ルーシーは、彼らが2人ともジャックと呼びあっているのは妙だなと思いました。それはまるで合言葉のように聞こえました。ドファルジュ氏はかっとなったら危険な人物になるかのように恐い顔をしていました。

 ドファルジュ氏は、ルーシーが彼の古い主人の娘だと知ると、彼女を屋根裏の秘密の隠れ家へと連れていきました。
そのちっぽけな暗い屋根裏部屋に白髪の老人がいて、靴を直すのにかかりきっていました。彼のくぼんだ目は、それ以上の光には堪えられなかったのです、着物はぼろぼろでした。
ドファルジュ氏は、彼に名前をききました、すると、彼は長いこと使ったことのないかのような、かすかなうめくような声で答えました。
「北の塔の105番です」 それは独房の番号でした。
しばらくすると、彼はあたかもルーシーがだれかを思いださせるかのように、じっとルーシーの顔とその金髪をみつめはじめました。
「あなたは看守の娘さんですか」

 「いいえ」
「あなたはどなたですか」
彼は首にかけていた紐についているぼろの小布を取り出しました。その中には、金髪が数本入っていました。涙が目にあふれてきました。その金髪だけが、彼に妻を思いださせる唯一のものだったのです。ローリィ氏は、彼の妻がルーシーそっくりだったことを思いだしました。
ルーシーは優しく彼にさわりました。
「お父さま、私はあなたを家へお連れしてお世話するために、ここにやってきたのですよ」
ドファルジュ氏とその仲間の助けを得て、門にいる歩哨の前を通りすぎ、彼らはその夜、パリからひそかに逃れ出ました。馬車が暗やみのなかに走り去ったとき、ローリィ氏は、マネット博士が果して記憶をとり戻し幸福になるのだろうかと思いました。

〈5年後〉

 1780年、あれから5年たちました。ルーシーと彼女の父親はロンドンの静かな通りに住んでいました、そこは田舎に近く、野原や木を眺めることができました。
ルーシーの父親は、彼の昔の仕事をしていました。彼は医者でたいへん尊敬されていました。しかし、彼は昔の靴直しの台と道具を2階の部屋にとってありました。ときどき、牢獄時代の記憶が戻ると、彼は夜にとんとんと靴を直すのです。ルーシーはこのようなときには、父親のことを気遣うのでした。
家政婦のプロスさんは、赤ら顔で髪の毛の赤い気性の激しい婦人でした。彼女はマネット博士とルーシー (彼女のことを「てんとうむしさん」と呼んでいました) を侵入者、とくにルーシーの美しさと優しさにひきつけられる若者たちから守っていました。
2人のそんな若者たちが、ある不思議な出会いでルーシーに会ったのです。
ローリィ氏の召使、ジェリー・クランチャー (5年前にドーヴァー行きの馬車を止めた人)は主人のために別の使いをしていました。こんどは中央刑事裁判所への使いでした、そこでローリィ氏は裁判の証人に立っていました。

 中央刑事裁判所は反逆者や殺人者が裁かれる法廷でした、そして見物人がいっぱい詰めかけていました。

 ジェリーは隣にすわっている人に 「何が行なわれているのですか」 と、しわがれ声でたずねました。
「まだ何も」
「何が起るのですか」
「フランスの反逆者を裁くのだ」
「それでは、四つ裂きの刑に処せられるのでしょうか」
隣の男は興味しんしんの様子で答えました 「ああ、彼は罪人そりに乗せられて、首を半死半生まで絞められ、それから首を切られ、手足をばらばらにされるだろう。それが宣告だ」
「彼が有罪ならば、でしょう」 と、ジェリーはつけ加えました。
「おお、彼は有罪になるよ、おまえが恐れることはないさ」
被告席の男は、背の高い若いフランス人で、威厳ある態度で立っていました。長い黒髪をリボンでうしろに結び、質素な灰色の服を着ていました。
彼は黒い瞳の日焼けした美男子でした。彼はフランスの王のためにスパイを働いたかどで告訴されていて、チャールズ・ダーネイという名前でした。
弁護席には、乱れたかつらをつけ、破れたガウンを着た男が、手をポケットに突っこみ、天井の蝿を見上げてだらしなくすわっていました。彼は被告と非常によく似ていました。この男はシドニー・カートンという名前で、あたかもだれにも、自分自身にも関心がないかのように、投げやりな顔つきをしていました。

 ローリィ氏とルーシーとマネット博士は、彼らがフランスからイギリスに帰るとき、この被告と同じ船に乗ったので、証人に立たなければなりませんでした。ルーシーは涙にくれんばかりでした。彼女は船に乗っていたとき親しくしてくれた親切な若者が、何か悪いことをしたとは信じられなかったのです。チャールズは、イギリスへ旅したのは、家庭的な事情で、自分はスパイではないと言いました。彼の召使ともうひとりの男バーサッドが彼を告訴したのです。
チャールズの弁護士は、証人の反対尋問をしていました、そのとき、シドニー・カートンが突然ねじって丸めた紙を彼に渡しました。弁護士はそれを読むと、言いました。

 「あなたは、それが被告だと確信しているというのですね」
証人は確信していると答えました。
「あなたは被告によく似た人に会ったことはありませんか」
見間違えるほど似た人に会ったことはありません」 (と、証人は答えました)。
「では証人は、あの紳士をよくごらんなさい……と、シドニー・カートンを指さしました、彼はお辞儀をして、かつらを取りさりました)……それから被告をごらんなさい。2人はよく似ていませんか」
証人は、2人がよく似ていることを認めざるを得ませんでした。それで、チャールズ・ダーネイは 「無罪」 となったのです、シドニー・カートンの気転のおかげでした。

 チャールズ・ダーネイとシドニー・カートンは2人とも、ルーシーとマネット博士の家の歓迎される客となりました。チャールズはフランスへ戻りたくなかったので、フランス語の教師の職につきました。彼はルーシーに求愛しはじめました、ルーシーもすでに彼を好きになっていたのでした。
家政婦のプロスは、彼にそれほど好感を持ったわけではなく 「てんとうむしさんの後を追いかける値打なんてまるでない何十人という男たちに、ここにやってきてほしくないものだね」 と、聞こえよがしにつぶやいていました。
マネット博士の行動は奇妙でした。彼はチャールズが好きでしたし、尊敬もしていました、しかし、何か心にひっかかるものがありました。ときどき、彼は夜遅く靴直しをとんとんやっていました、それは何かおかしいことがあるというしるしでした。

 シドニー・カートンもルーシーを愛していました。しかし彼は、自分には彼女に与えるものはなにもないことを知っていました。彼はチャールズに対して、自分に似すぎていることと、自分がそうあったかもしれないような人間であることについて、ほとんど憎悪に近い感情を抱いていました。
カートンは、酒を飲みすぎるようになるまでは賢明な弁護士でした。彼はルーシーを愛するようになったとき、ひどく過去の生活を後海しました。
彼は、自分の気持をルーシーに打ちあけたとき、彼女がおそらくチャールズと結婚するだろうとわかりました。彼女は彼に、生き方を変えるようにと嘆願し、いつも彼の友人でいると約束しました。
彼は彼女をとても真剣にみつめて言いました。
「あなたが愛した人を救うために、生命を投げ出してもいいと思っている男がいるということをときどきは思いだしてください」 ルーシーは、そのときは、彼が何を言おうとしているのかわかりませんでした。

〈フランスで嵐がつのってくる〉

 フランスで貴族たちは、貧乏人たちが彼らに反抗して立ち上がるなどと思ってもいませんでした。彼らは小作人たちがまるで人間的な感情を持っていないかのように、彼らを扱いました。
これら冷淡な貴族のなかでも、もっとも冷酷な1人がデブレモンド公爵でした。彼は立派な服を着、高慢で、青白い顔をしていました。彼の馬車は通りをものすごい速力で走るので、一般の人びとは馬車の通り道から逃げ出さなければなりませんでした。彼が御者に気をつけるようにと言ったことはありませんでした。
ある日、彼は遠出をしました。馬車が赤ん坊をひいて、さらに引きずり殺してしまいました。怒った人たちが馬車を止めました。
「どうかしたのか」 と、公爵は外を見ながら冷やかにききました。
ナイトキャップをかぶった背の高い男が、馬の足もとから束のようなものを拾い上げ、地面にすわってまるで野獣が吠えるような声を出しました。
「なぜあの男は、あんないやな騒音を出しているのか。あれは彼の子どもなのか。おまえたちは自分や自分たちの子どもにもっと注意しなければいけないぞ。おまえたちはいつも私の行く道の邪魔をしている。おまえたちが私の馬にどんな損害を与えているか、私は知らないが。さあ──あの男にあれをやれ」 彼は道に金貨を1枚ほうり投げました。
馬車がかけていくと、何かが馬車の中にころがりこんでさました。それは金貨でした。
「だれが投げたのだ」 と、公爵は怒って怒鳴りました。
その夜、公爵は、彼の寝室で刺し殺されているのを発見されました。短刀には紙がはってあり、それには 「彼を速い馬車で墓場に送ってやれ。ジャックからの贈物」 と、書かれて
いました。
(ジャックとは、貧しい人たちが自分たちの間で合言葉として使っていた秘密の名前です)

 パリのその酒場では、ドファルジュ夫人はカウンターのうしろでいつものように編物をし、お客はトランプをしていました。田舎出の道路工夫が、デブレモンド公爵を刺し殺した男が捕えられ、絞首刑になったという知らせを持って入ってきました。
夫人はこのようなできごとを記録していました。彼女は器用に、責めを負うべき人びとの名前を模様のなかに編みこんでいたのです。ある日、イギリスのスパイであるジョン・バーサッド (中央刑事裁判所で証人になった男) が酒場に入ってきました。彼は彼女に編物についてたずねました。
「編物がたいへん上手だね、奥さん」
「慣れていますからね」
「何のために編んでいるんだい」
「暇つぶしですよ」 と、夫人は指をすばやく動かしながら言いました。
「使わないのかね」
「いつか何かに使えるかもしれないね」 と、夫人は気味悪く答えました。
彼女の夫が入ってくると、ジョン・バーサッドは、マネット博士の娘ルーシーがチャールズ・ダーネィと結婚しようとしていることを話しました。
チャールズはデブレモンド公爵の甥でした。
ドファルジュ夫人はそれを聞くと、ふたたび指を動かしました。彼女はチャールズ・ダーネィの名前を編みこんだのです。それから彼女は編物を丸めて、それを注意深くしまいこみました。

 チャールズとルーシーは結婚式の計画を立てていました。チャールズは、彼の秘密の敵である彼の叔父が殺されたことを聞きました、それで、今や彼が新しいデブレモンド公爵になったのです。彼は叔父の残酷さを憎んでおり、小作人たちに同情していました。彼は執事のギャベルに、小作人に小作料を課さないようにと書き送りました。自分の新しい称号について彼が話したのはマネット博士だけでした、そして、自分のことを相変らずチャールズ・ダーネィと呼んでいました。

 シドニー・カートンはチャールズへの嫉妬にうちかち、彼の家族の真の友人になろうと思いました。チャールズはルーシーにこのことを話しました、ルーシーはシドニーにたいへん同情すると言いました。
「あの人は美しい心を持っています、しかし、ご自分の感情をめったに出さないのです」
結婚式の後、マネット博士は、牢獄を思いだす悪い発作を起しました。
彼はまた靴直しに取りかかりました。しかし、徐々に彼は回復し、その後数年間は、ルーシーやチャールズ、そしてその家族と幸せに暮しました、しかし、とうとう、彼らの生活をすっかり変えることが起ったのです。

〈嵐が起る〉

 1792年までは、フランスの美しい田園は飢饉に苦しんでいました。小麦の収穫はありませんでした。パンは非常に高くまた乏しかったので、貧乏人はたとえお金を持っていたとしてもそれを買うことはできなかったでしょう。パンのかわりに、彼らは木の葉や草や、玉ネギのくずを食べていました。彼らは国や教会や、彼らをただ働きさせる貴族に払わなければならない重税のために、たいへん貧乏でした。都市においても事態は同じように悪かったのです。貧乏人には仕事がなく、商売もできず、食べものもありませんでした。
貴族や牧師は税金を払いませんでした。その他の人びとはだれでも、貴族の大邸宅や、彼らの何百人という召使や、はなやかなドレスのパーティが永遠に続くように見えるすばらしい衣服を支えるために、税金を払わなければなりませんでした。おそかれはやかれ、革命が起ろうとしていました、というのも貧乏人は空腹で怒りに満ち、彼らを救うためには何もなされなかったからです。貴族は貧乏人に対して生殺与奪の権利を持っていて、彼らに反抗する人びとはみんな絞首刑に処せられるか、バスティーユ監獄のような場所に死ぬまで投獄されるのでした。
パリの貧民街では、人びとはこのような悪行に逆上し、彼らの怒りは燃えあがりました。すさまじい怒号が街をかけめぐり、しなびた木の枝にも似た、ぼろをまとった何本もの腕が、手当り次第みつかるものは何でも手にして、ナイフ、鉄棒、木材、斧、壁からはがした石などをも武器にして、空中にひるがえったのです。
渦巻のように、群衆は活動の中心であるあの酒場のあたりに殺到しました。ドファルジュはジャックの1、ジャックの2、ジャックの3に命令を下していました。ドファルジュ夫人は編物のかわりに斧を持っていました。

 「市民よ、友人よ、我々の用意は整った!」 ドファルジュは力強い声で叫びました。「バスティーユ監獄へ!」
群衆は大喚声をあげて憎むべき監獄へと殺到し、攻撃が始まりました。火や煙が噴き出し、鐘が鳴り、太鼓がとどろきました。今や2万5千人のジャックがみんな、ドファルジュ夫妻に率いられて攻撃に身を投げ出していました、ドファルジュ夫人はこう叫びました。
「女たちよ、私に続け! あの場所を占領すれば、私たちも男と同じように殺せるぞ!」

 4時間も激しい戦いは続き、復讐の大波が監獄の壁を打ちました、そしてとうとう、降伏の白旗があがり、攻撃者の大波はドファルジュを押し流して、はね橋を渡り、バスティーユ監獄そのものの中へと入りました。
「囚人たちを出せ!」
「記録をさがせ!」
「秘密の独房をさがせ!」
「拷問道具だ!」

 しかし、ドファルジュにはひとつの特別な目的がありました。
「北の塔105番に案内しろ」 おびえた看守は、昔マネット博士のいた独房へ彼を案内しました。ドファルジュはその中を徹底的に探しました、そして煙突の中の煉瓦のうしろの隠し場所にあった書類をみつけました。
これらすべては1789年7月14日に起ったことです。

ローリィ氏はそこで起ったことにすっかり動転して、パリでの仕事の旅から1792年の秋に帰国しました、そしてデブレモンド公爵あての手紙を持ち帰りました。彼はそれをチャールズ・ダーネィに示し、その人を知っているかどうかたずねました。
「私はこの手紙を届けることができます」 と、チャールズは自分がデブレモンドであることを暴露せずに言いました。彼は1人になるとそれを開けて読み、「私はすぐフランスへ行かなければならない」 と、叫びました。
その手紙は彼の執事のギャベルからのもので、彼は投獄されていたのです。彼はチャールズに、自分を救いにフランスに戻ってくださいと頼んでいました。
「天と正義と寛大さのために、あなたの高貴な名前の名誉のために」
これはチャールズが拒み得ない頼みでした、そして、彼はその夜パリへと出発しました。

 チャールズがフランスに着いたときには、王は獄中にあり、市民が市を管理していました。彼は自分が忠実な市民であるということを示す書類なしでは、どこへ行くこともできませんでした。赤い帽子をかぶった荒っぽい番人が、彼をパリに引っぱっていきました、そこでは群衆が彼をののしり、市民ドファルジュが彼を担当しました。
「この囚人の書類はどこにあるのか」 と、ドファルジュはたずねました。
彼は書類を見てチャールズがだれなのか知りました。チャールズはひとりの将校の下に連れていかれました、彼は、チャールズが貴族なので、何の権利もなく、「秘密のうちに」 投獄されるであろうと言いました。
ドファルジュは彼に、マネット博士の娘と結婚したというのは本当かとたずねました。チャールズはそうだと答えました。
「いったい全体、ギロチンの危機をおかして、あなたはなぜフランスにもどってきたのかね」
チャールズは、執事を救うためにやってきたのだと告げ、ローリィ氏のパリの事務所に伝言してくれるように頼みました。
「私はあなたのために何もするつもりはない。私の義務は国と市民に対するものだけだ」 というのがきびしい答でした。
ラフォールスの牢獄は陰うつな場所でした、そこは汚れて不潔で、死のいやなにおいがあたりに満ちていました。チャールズは、男女たくさんの囚人で混みあっている、低いアーチ状の天井がある長い部屋を通っていきました。その囚人たちは貴族で、まだ礼儀正しく堂々としており、かつては立派だったのでしょうが、今はぼろぼろになった服を着ていました。チャールズは、彼らは幽霊みたいだと思いました。──「彼らは死人の集団だ」と、彼は思ったのでした。
彼は独りで房に入れられ、書く物は与えられませんでした。そのとき彼は、正義も慈悲も期待できず、希望もないと悟りました。

 ローリィ氏のパリの事務所の中庭では、忌わしい音が続いていました。
人びとが砥石でナイフや斧を磨いていたのです。
「彼らは囚人たちを殺そうとしているのだ」 と、ローリィ氏はぞっとして思いました。
突然、ルーシーとマネット博士が少女を連れて、戸口にあらわれました。
「何がおこったのですか、なぜパリにいらっしゃったのですか」

 「私の夫!」 と、ルーシーが叫びました。
マネット博士が言いました。「私はバスティーユ監獄の囚人だった。パリの人はだれも私を傷つけないだろう。私はチャールズを危険から救うためにやってきたのだ」
彼は中庭に下りていきました、すると、血に飢えた群衆は拍手をもって彼を迎えました。彼はチャールズ・ダーネィのために助けを求めました。
彼らは興奮して彼を連れ去りました、ルーシーはローリィ氏と娘といっしょに彼の帰りを持っていました。
朝になって、ドファルジュがマネット博士の伝言を持ってやってきました。「チャールズは無事だ、しかし、私はまだこの場所を離れることができない」 ドファルジュは妻を連れてきました、ルーシーは感謝の気持をこめて彼女の手にキスしました。それは冷たく重く感じられました。
「これは彼の子どもですか」 と、ドファルジュ夫人は編棒をあたかも運命の指ででもあるかのように少女に向けて言いました。
「私を助けてください!」 と、ルーシーは懇願しました。「私を姉妹として、母としてお考えください」
「私たちは、私たちの姉妹や母や子どもたちが死ぬまでずっとつらい目にあったのを見てきているのです。もう1人がどうかなったって、たいした違いはありませんよ」
彼女は編物を続けながら出ていきました、後に残ったルーシーは心配でたまりません。「あの恐ろしい女は、私や私のすべての望みに影を投げかけるように見えるわ」 と、彼女は思いました。

 さて、ルーシーは毎日娘を連れて、監獄の外側を歩き、チャールズの独房の窓を見上げるために出かけました。彼女はドファルジュ夫人に監視されていました、彼女は、この家族をみんなギロチンに送ろうと決めていたのです。
ギロチン (人びとはそれをマダムと呼んでいました) は処刑の道具です。
貴族たちは (死刑囚運搬車と呼ばれる) 荷馬車に乗せられて、高い処刑台のたっている場所へと連れていかれました。そこで彼らはひざまずいて、頭を台の上に置かなければなりませんでした。滑車につけられた鋭い斧の刃が彼の首にどしんと落ちて、頭が鐘の中に落ちるのでした。ドファルジュ夫人とその仲間の女たちは、そのまわりにすわって編物をし、頭が落ちるたびにその数を数えていました。
ギロチンは頭痛の特効薬だと彼らは言っていました。

 とうとうチャールズは市民裁判所の法廷に連れてこられました。マネット博士とローリィ氏とギャベルが彼のための証人となりました、そして裁判所は彼の側に立ったのです。彼は釈放され、喚呼する人びとの肩で住居まで運ばれました。
マネット博士は、この小さな家族を幸せに満ちてみつめました。「私は彼を救ったのだ」 と彼は思いました。
しかし、彼らの幸せは長続きする運命にありませんでした。その夜、ドアに大きな一撃が加えられ、赤い帽子をかぶり、ピストルで武装した4人の荒々しい男が部屋に入ってきました。
「ダーネィこと、市民デブレモンドか」

 「だれが彼をさがしているのだ」
「デブレモンド、私はおまえを知っているよ。私は今日おまえを裁判所の前で見た。おまえはふたたび共和国の囚人となるのだ」
「しかしなぜ。どうしてこんなことが起るのだ」
「おまえは市民ドファルジュ、ドファルジュ夫人及びもうひとりによって告訴された」
「もうひとりとはだれだ」
「それは明日わかるだろうよ。私には答えられない」
こうしてチャールズはまた引っぱっていかれました、こんどはコンシェルジェリーの監獄です。

 このようなことが起っている間、ローリィ氏の召使、ジェリー・クランチャーは用事で外に出ていました。突然、彼は町で見覚えのある顔を見かけました。彼は呼びかけました。「私はおまえを知っているよ。おまえはスパイで、中央刑事裁判所で証人になったじゃないか──何という名前だっけ」

 「バーサッドだよ」 と、別の声が割りこんできました。それはシドニー・カートンでした。彼はジェリーのひじの脇に、中央刑事裁判所に立っていたかのように何気なく立ちました。
彼は続けました。「バーサッドさん、私はあなたが1時間かそこらほど前に、コンシェルジェリーの監獄から出てくるのを見ましたよ。あなたは忘れられない顔をしている。私はあなたの後をつけて酒場に行き、そこでの会話からあなたの仕事の見当がつきましたよ。ローリィ氏の事務所で数分間付き合っていただけませんかね」
「それは脅迫なのか」 と、スパイは青ざめて言いました。
バーサッドはチャールズが閉じこめられている監獄の看守でした、それで、カートンは彼を利用するある計画を思いついたのです。彼とジェリーは、バーサッドが市民裁判所に知られたくないと思っている彼の過去のある事を知っていました、そこで、バーサッドはシドニーが望むとおりにすることに同意しました。
カートンの次の行動は、ローリィ氏にチャールズがふたたび逮捕されたと告げることと、ルーシーの安否をたずねることでした。ある理由で、彼はルーシーに会いたいとは頼みませんでした。
そのかわりに、彼はその夜、パリの街をさまよい歩き、開いている薬局をみつけました。薬局で彼は、人を長い間眠らせてしまう薬を買いました。
「これ以上は何もすることはない」 と、彼は月を眺めながら言いました 「明日までは」

 朝になると、彼は裁判所へ出かけ、そこでチャールズ・ダーネィの3番目の告発者の名前を聞きました。それは、ほかでもないマネット博士でした。
博士はそのことについては自分では何も知りませんでした。ドファルジュがマネット博士の名前を書き、バスティーユ監獄の博士がいた独房で発見した書類を提出したのでした。その書類には、博士を投獄した人物の名が書かれていたのです。マネット博士は、その書類が自分の筆跡であることを否定できませんでした。
責めを負うべき人びとは、チャールズの父と叔父であるデブレモンド兄弟でした。彼ら2人は、罪のない小作人の少女と、彼女を守ろうとしたその兄に死をもたらしたのです。マネット博士は唯一の目撃者でした、それで、デブレモンド兄弟は、彼を黙らせるためにバステイーユ監獄に投獄したのです。チャールズは、その家族のなかの唯一の生存者でした、それで、そのことが起ったときにはまだほんの子どもで、そのことについては何も知らないのに、彼は今、家族の犯罪のために死刑に処せられる運命にあったのです。
ついに、チャールズは、マネット博士が婚礼の際、自分がデブレモンドだとわかったときに示した苦悩の理由を知りました。ドファルジュ夫人の憎悪の原因も説明されました。死んだ少女と少年は彼女の姉妹であり、兄弟だったのです。
「私は希望をもってない。彼は殺されるだろう」 と、ローリィ氏はシドニーに言いました。
「ええ、彼は殺されるでしょう。ほんとうに望みはありませんね」 と、シドニーは言いました。そして彼はきっぱりとした態度で階段を下りていきました。

 カートンがローリィ氏の事務所に戻ったとき、マネット博士がいなくなっているのに気づきました。やがて、階段にマネット博士の足音が聞こえました。彼がはいってきたとき、2人にはかわいそうに博士がまた記憶を失っているのがわかりました。
「あれがみつからない、あれをみつけなければならない。どこにあるのだろう」 彼は靴直しの台のことを言っているのでした、それは恐ろしい牢獄の中で正気を保つ唯一のものだったのです。
「彼はもう私たちの助けとはならない」 と、カートンは言いました。「ルーシーのところに連れていった方がいい。しかし、私の言うことをきいて、私の言うとおりにしてください。ちゃんとしたわけがあるのです」

 彼らは、マネット博士がルーシーといっしょにパリを出られるよう博士の許可証をさがし、それをみつけました。シドニーも許可証を持っていました、彼はそれを大切にしまっておいてくださいと、ローリィ氏に渡しました。
「私は今夜、獄中のチャールズを訪ねるつもりです、なくすといけないので、それを身につけていくような危険をおかしたくないのです」
「あなたは、ルーシーと子どもも危険だと思われるのですか」
「ええ、ドファルジュ夫人からの危険をね。あなたは明日の2時に出発する用意ができていなければなりません。マネット博士たちに、あなたといっしょに行くよう説得してください。ルーシーに、それはチャールズの望みだと伝えてください。私を待っていて、私が戻ったら、すぐ出かけましょう」

 チャールズ・ダーネィは獄中の最後の夜を、妻への別れの手紙を書いて過ごしていました。翌日には52人が首を切られることになっており、彼もそのなかの1人だったのです。彼は時計が時を打つのを聞いていました。
突然、独房のドアが開きました、そこにはシドニー・カートンが頭にほほえみを浮かべ、唇に指を当てて立っていました。
「奥さんからの伝言を持ってきたんだ。正確にぼくの言うとおりにしてほしい。むだにする時間はないんだ」
彼はチャールズに自分の服と取りかえさせ、髪からリボンを取り除き、自分の頭のようにぱらりと髪を下げさせました。それから彼は、自分の口述どおりの手紙をルーシーあてに書くよう、チャールズに頼みました。それは、こういうものでした。「あなたは、ぼくのある言葉を覚えていらっしゃるでしょう。この手紙を見れば、わかってくださると思います。僕がその言葉を実証できるときが来たのを感謝しています」
彼が書いているとき、カートンは、彼が薬局で買った薬を染みこませたハンカチをチャールズの顔の上に押しつけました。チャールズは意識を失って床の上に倒れました、そして、カートンを牢獄に入れたバーサッドの助けで、彼は獄外へと運び出されました、カートンをかわりに残して。

 パリの門では、番人たちが、ローリィ氏、ルーシー及びその家族が乗った馬車を調べました。彼らは馬車の片すみに酔っ払って転がっているシドニー・カートン (実はチャールズ・ダーネィ) について冗談を言いました。
「行ってもいいですか」
「行ってよろしい。道中気をつけて」
獄中では、召使の少女がチャールズ・ダーネィ (彼女は彼をそう思っていましたから) に、ギロチンに行くとき、手をにぎってくださいと頼みました。シドニー・カートンは承知しました。

 パリの街を死の馬車がうつろな、耳ざわりな音をたてて進んでいきます。
「どれがチャールズ・デブレモンドだ」
「それ、少女の手を握った男だ」
「デブレモンドをやっつけろ! 貴族どもはギロチンへ!」

  時計が3時を打ちます。そこにはギロチンがあります。その前では女たちが何列にもすわって編物をしています。
最初の囚人馬車は空になります。そして、すさまじい音! 首がさしのべられます。女たちは編物の手を休めず、ひとつ、ふたつと首の数を数えます。
「私の目をみつめていなさい。他のものは何も見るのではありません」
「あなたのお手をとっていれば、心丈夫です、でも、彼らはすばやくやってくれるでしょうか」
「すばやくやるでしょう。恐がることはありません」

 彼女は彼の前に行き──死にます。編物をしている女たちは22を数えます。
シドニーは心のなかで、ルーシーとその家族が無事にイギリスに向かっている姿を描きました。彼は思いました。「これは、私が今までにしたことのどれよりも、ずっとずっと、すばらしいことだ。これは、私が今までにとったどの休息よりも、ずっとずっと、すばらしい休息だ」
多くの人のつぶやき、多くの人の上をむいた顔、すべてが一瞬の内に消えました。23番目でした。
後になって人びとは、彼の死顔は今までに見たこともないほど安らかであった、と言いました。


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