レディバードブックス100点セット
 

 

ジキルとハイド

(ジキル博士とハイド氏の不思議な事件)

 弁護士のアタソン氏には多くの友人がいました。そのなかでも一番親しい友人は、町の名士であるリチャード・ニンフイールド氏でした。毎日曜日、彼らはいっしょに散歩をしました。
そのようなある日曜の散歩のとき、2人はたまたまロンドンの繁華街の裏道に入ってしまいました。その通りには明るい店がいっぱいあり、シャッターは新しくペンキが塗られ、真ちゅうはよく磨かれていました。
しかし、かどから2軒目で店がときれて、中庭への入口がありました。
そこには気味の悪い建物が立っていて、暗い破風(はふ)を通りに突きだしていました。窓にはカーテンもなく、戸もよごれたまま手入れもされていませんでした。

 エンフィールド氏はステッキをあげて、それを指しました。
「あの戸口に気がつきましたか」 と、彼はたずねました。「あれを見ると、とても奇妙な話を思い出すんですよ」
「ほんとうですか」 と、アタソン氏は鋭い口調で言いました。「どんな話なんですか」
「ある暗い冬の夜、私はこの辺を通りかかったんです」 と、エンフィールド氏は言いました。「どの通りにも誰もいませんでした、人びとはみな寝しずまっていたんです。突然人影が2つ見えました。1人は小柄な男で急ぎ足でぐんぐん歩いてきました、もう1人は小さな女の子で交差する通りを走ってきました。2人は曲がりかどでぶつかり、女の子はドシンと倒れてしまいました。それからぞっとするようなことが起ったんです。その男は女の子の体をけとばしてわきにどけ、その子が地面にころがって泣き叫んでいるのをそのままにして行こうとしたんです」 彼はそのときのことを思い出して顔をしかめました。「私はたいへん怒ってその男を追いかけて、連れもどしました」

 「続けてください」 と、アタソン氏が言いました。
「その男はきわめて冷静でした。そして私をジロリと見たんですが、その目つきは陰気でいやらしく、私はどっと汗が吹き出したほどでした。このころには人びとが集まってきていましたし、その女の子の家族も出てきていました。その子は医者を呼ぶために使いにだされていたんです、そして医者もその場にやってきました。
「その子のけがはたいしたことはなく、おどろきの方がひどかったんです」
と、彼は続けました。「私たちが当然その男に怒りを感じたとしても、この話はこれで終ったと思われたでしようね。しかしその男のもつ雰囲気には、そこにいたどの人にも奇妙な感情を起させるものがありました。医者も私もその男をひと目見たときに、ひどくいやなやつだと思いました。人びとのなかには、いきり立つ人もいて、私たちは彼らを引きとめなければなりませんでした。私には説明できませんが」
「それはとても奇妙なことですね」 と、アタソン氏は考えこみながら言いました。

 「そうなんです」 と、エンフィールド氏は同意しました。
「とにかく、私たちはその男の仕打ちについてロンドンじゅうに言いふらしてやるとやつに言いました。彼はそれは困ると言い、そうさせないために少女の家族に百ポンド支払うことに同意しました」 エンフィールド氏はステッキで示しました。「その男は百ポンドの金を取りに、あのドアから中へ入ったんです!」
「それで終りではありません」 と、エンフィールド氏は続けました。「その男は現金を少しと小切手を持ってもどってきました。その小切手には、立派な業績でロンドンじゅうに有名な、ある人のサインがしてあったんです。私たちはその小切手は偽造にちがいないと思いました、しかし、そいつは銀行が開くまで私の部屋にいっしょにいると言い張りました。その小切手は本物だったのです」
「なんと奇妙なことだろう」 と、アタソン氏はつぶやきました。

 「まったくひどい話です」 と、エンフィールド氏はため息をつきました。
「その男の特徴はうまく説明できません、私の目にはまだありありとその姿が見えるんですが。彼の姿にはどこか不吉なものがありました。彼は、どこかかたわなところがあるかのように奇妙な様子でした。しかし、それでも、私がそいつをとてもいやなやつだと思ったことの説明にはなりません。また、その小切手にサインした人については、まだ不思議に思っているんです。その人の名前をあなたに教える気はありません。彼はとても有名な人ですからね。なぜ彼はそんな男にお金を与えたのでしょう。彼の過去の秘密にゆすられているのではないでしょうか。ほんとうに不思議なことです」
「その少女を突き倒した男の名前は何というのですか」 と、アタソン氏は突然たずねました。
「彼の名前はハイド──エドワード・ハイドです」
その名前を聞くと、アタソン氏は眉をひそめて、その荒れはてた戸をじっとみつめました。
「誰がその小切手のサインをしたのか、あなたは言う必要はありません」
と、彼はため息をついて言いました。「私にはもうわかっています、これはヘンリー・ジキル博士の実験室の裏口ですから。このことについてはもう何も言わないのがいちばんいいと思いますよ」

 その晩夕食後、アタソン氏は書斎へランプを持ちこみました。金庫を開けて、彼は 「ジキル博士の遺言状」 と書いてある書類を取りだしました。彼は厳しい顔つきで、それを調べました。
ジキル博士は彼の古くからの友人の1人でした。アタソン氏はそのような遺言状を作らないようにと彼に忠告したのですが、彼はどうしても作ると言ってきかなかったのです。そこには博士の書いた遺言状がありました。
へンリー・ジキルの死後は、彼のすべての財産は、彼の友人エドワード・ハイドにわたるべきものであると書かれていたのです。
それだけではありませんでした。ジキル博士が3か月以上行方不明の場合には、エドワード・ハイドが遅滞なく後を継ぐべきものであるとなっていました。

 その遺言状にアタソン氏は困惑しました、そのときには、彼はハイド氏については何も知らなかったからです。今やリチャード・エンフィールド氏の話を聞いたので、彼はさらに心配になりました。
「私はあのとき、気違いざただと思った」 と、彼はそれを金庫にもどしながら、ひとりごとを言いました。「今は、不名誉なことがありそうな気がする。ラニョン博士に話さなければならないな」
コートを着て、彼はキャヴェンディッシュ・スクウェアへ出かけました、そこには名医のラニョン博士が住んでいて、多くの患者を診察していました。ラニョン博士自らが彼を迎えいれました。しばらく世間話をしてから、アタソン氏は彼を悩ませている問題に話題を変えました。

 「私たちは、まちがいなくヘンリー・ジキルのもっとも古い友だちだね」 と、彼は言いました。
「そうだと思いますよ」 ラニョン氏は同意しました。「しかし、近ごろは彼をほとんど見かけません」
「ほんとうですか」 弁護士はおどろきました。「私はあなたがたは共通のものをたくさんお持ちだと思っていましたが」
「たしかにそうでしたよ」 医者の顔に突然怒りの表情が浮かびました。
「しかし、しばらく前からジキル博士は私にはさっぱりわからなくなったんです。彼は気がおかしくなったんです。彼の考えは非科学的なたわごとですよ」
「彼の友だちのハイドという人にお会いになったことはありますか」 と、アタソン氏はたずねました。
「ハイドですって? 聞いたことはありませんね」
アタソン氏がラニョン博士から聞きだしたのはそれだけで、彼は家に帰りました。一晩じゅう彼は寝がえりをうち、ジキル博士のことや彼の不思議な友人ハイド氏との関係について思い悩みました。

 その男の顔を見たいという強い欲求が、弁護士の心の中でしだいに強くなりました。たぶん彼に会えば、なぜジキル博士がこんな奇妙な遺言状を作ったのかわかるようになるでしょう。少なくとも、それは会うに値する顔でした──リチャード・エンフィールド氏のおだやかな心の中に、あんなにも強い憎悪の念を引き起したのですから。
それ以来、アタソン氏はあのわけのありそうな実験室の戸口を見張りに、しばしば出かけました。そして、ついに彼のしんぼうが報いられました。
晴れて、霜のおりた夜のことでした。あたりいったいロンドンのざわめきが聞えていましたが、街燈がともったその通りはたいへん静かでした。
足音がひびき、近づいてきました。小柄な男が物陰から姿を見せ、戸口に近づいたので、アタソン氏は息をひそめました。その男はまるで自分の家に帰ってきたかのように、ポケットから鍵を取りだしました。アタソン氏は前に進みでました。
「ハイドさんですね」
「ハイドは私ですが」 その男は、ヒューというような音をたてて息をのんで言いました。「何かご用ですか」
「私はジキル博士の古い友人で──ゴーント・ストリートのアタソンという者です。私のことはお聞きおよびのことでしよう。あなたはお入りになるんですね。私も入れていただけませんか」
「ジキル博士はいないよ」 と、ハイド氏は顔を上げないで、どなりました。
「お顔を見せていただけませんか」 と、弁護士はたのみましたが、あまり突然だったので、ハイド氏はぎくりとしました。彼はちょっとためらっていましたが、ふり向きました。2人の男はおたがいをじっとみつめました。
「会った方がよかったんだ」 と、ハイド氏はしゃがれ声で言いました。
「おれの住所も教えておこう」 そして彼はソーホー・ストリートの番地を弁護士に告げました。それから彼は言いました。「どうしておれのことを知ってるんだ」

 「私たちには共通の友人がいますからね。たとえばジキル博士のような」 と、アタソン氏は言いました。
「彼がおまえさんに言ったはずはないだろう」 と、ハイド氏はものすごい笑い声をたてました。彼は向きを変えてドアの鍵をあげ、家の中に消えました。アタソン氏はしばらくの間じっと立ちつくしました。
「なぜ彼は住所を教えてくれたのだろう」 と、彼は自問しました。「彼は遺言状のことを考えていたのだろうか」
アタソン氏はゆっくりとそこを離れました。ハイド氏は醜く、体つきもどこかに欠陥があるようでした、しかしアタソン氏は当惑していました。
その男の顔つきだけでは、なぜアタソン氏がエンフィールド氏と同じように、その男にそれほど嫌悪感を抱くのか、説明ができなかったからです。
「ほかにも何かあるにちがいない、それが何なのかはっきりとは言えないが」 と、彼はひとりごとを言いました。「あの男には人間的なところがほとんどない。かわいそうなヘンリー・ジキル。私が悪魔の印をもった顔を見たとすれば、君の新しい友人の顔こそそれだ」

 頭を振りながら、弁護士はかどを曲がって、立派な家が並んでいる静かな一画へとゆっくり歩いていきました。
そのうちの一軒の前で立ち止まって、彼はドアをノックしました。執事が現れました。
「ジキル博士はご在宅かな、プール」 と、弁護士はたずねました。
「いいえ、旦那さま。外出しております」
「私はたった今、ハイド氏が実験室のドアから入るのを見たのだが」 と、アタソン氏は言いました。
「ジキル博士がいないのに、そんなことをしていいのかね」
「よろしいのです、旦那さま」 と、執事は答えました。「私たちはハイド氏の言いつけどおりにしろとの命令を受けております。あの方はご自分の鍵をお持ちで、たいていは実験室のドアからお入りになります」
「よくわかったよ、おやすみ、プール」

 アタソン氏は、前よりももっとわからなくなって家に帰ってきました。ジキル博士はハイド氏に気ままにあの家に出入りさせているんだって? ハイド氏は博士に何らかの支配力を持っているにちがいない。
「かわいそうなヘンリー・ジキル」 と、弁護士はため息をつきました。「彼がやっかいなことにまきこまれているのがこわい。彼は危険な状態にあるのかもしれない。ハイド氏が遺言状のことを知っていて、ジキル博士の財産をほしがったら、彼が何をするか誰にもわかりはしない。私は助けてやらなければならない──もし博士がまかせてくれるなら」
幸いなことに、そのようなことがあったすぐあとで、ジキル博士がアタソン氏を夕食会に招待してくれました。ほかの客たちが去ったあとも、アタソン氏は後に残りました、彼はよくそうしたのです。2人は暖炉のそばにすわって話しこみました──やせて飾りけのない弁護士と体格のいいやさしい顔つきの博士の2人が。アタソン氏は遺言状の問題を持ちだしました。
「君がその遺言状に不賛成なのは、私にもわかっているよ」 と、その裕福な医者はちょっと鋭い調子で言いました。

 「でも、私はもう一度そう言わなければ」 と、弁護士は言いました。「ハイド氏のことを聞いているものでね」
ジキル博士の立派な顔が青ざめ、目の色が暗くなりました。
「私はもうそれ以上聞きたくない」 と、彼はアタソン氏に言いました。
「私は奇妙な立場にいるんだ。君にはわからないよ。ひとつだけ言っておこう──私はそうしようと思えば、いつでもハイドと手を切れるんだ。これは私個人の問題なんだ、ご親切なアタソン君、どうかもう何も言わないでほしい」
「わかった」 と、弁護士は立ちあがりながら、こわばった口調で言いました。
「私はあの気の毒なハイドにおおいに関心があるんだ」 ジキル博士は友人の腕に手をかけました。「もし私が死んでしまったら、彼の権利が得られるようにめんどうをみてやってくれ。私がここにいなくなったら、どうか彼を助けてやってほしいんだ」
アタソン氏はため息をつきました。「君の望むようにしよう」 彼は言いました。「しかし、彼を好きであるようなふりをすることはできないよ」

 それからほぼ1年後、ロンドンは邪悪な犯罪にぼう然としたのです。その事件の詳細はおどろくべきものでした。川の近くの家に住んでいたある女の召使が、ある夜遅く自分の部屋に帰ったのです。月の光が彼女の窓の下の小道を明るく照らしていました、そして、しばらくの間その女は窓の腰かけにすわって外を見ていました。彼女が見ていると、年輩の白髪の紳士がやってきました。彼は通りかかった小柄な男に気持のよいあいさつをしました。
彼女がぞっとしたことには、その小柄な男は突然怒りを爆発させて、足を踏みならし重いステッキを振りまわしたようでした。びっくりして、年輩の紳士は後ずさりしました、しかし、小柄な男はまるで気が狂ったかのように彼めがけて突進したのです。怒り狂って、彼はステッキで打ちかかりました。そして、老紳士を何回も打ちすえました──その犠牲者が路上にぐったりとのびてしまってからも。

 その攻撃があまりにも残酷だったので、女は気を失ってしまいました。
意識を回復するとすぐに、彼女は警官を呼びにやりました。警官が着いたときには、老紳士はもう死んでいました。彼はほかでもない、有名な国会議員のサー・ダンヴァス・カルーだったのです。殺人者は逃げ去っていましたが、女中は月光で彼の顔を見ていました、それは彼女が知っている顔だったのです。
「私は彼が誰なのか知っています」 と、彼女は叫びました。「彼は私のご主人の家に訪ねてきたことがあります。エドワード・ハイドという名前です」
警官は道ばたのみぞの中から折れたステッキの半分を、そして殺された老紳士のポケットから切手をはった手紙をみつけました。その手紙はアタソン氏あてになっていました。ロンドン警視庁のニューカマン刑事が急いで弁護士を訪問しました。

 アタソン氏はカルー氏が亡くなったことを聞いてショックを受けました。
彼は刑事が持ってきた手紙を開き、急いで目を通しました。
「これはカルー氏からの仕事上の手紙です。彼は私の訴訟依頼人のひとりでした。氏は殺されたとおっしゃいましたか」
「そうです」 刑事の声はいかめしいものでした。「彼はエドワード・ハイドという男になぐり殺されたのです。我々は今その男を探しています。その男の名を聞いたことはありますか」
アタソン氏は気重なようすでうなずきました。
「聞いたことがありますよ、刑事さん。彼が住んでいるところもご案内できますよ。さあ、馬車で行きましょう」

 ハイドの住居はソーホー街の陰気な一隅にありました。ハイドは快適に暮していたようです、住居はぜいたくな家具を備えていましたから。2人には、その家の住人が立ちのいてしまったことがわかりました。あわただしく出かけたあとが残っていたのです。服が散らばり、たんすのひきだしは半分ひらいたままで、書類が暖炉で焼き捨てられてありました。床の上には折れたステッキの半分がころがっていました。アタソン氏の心は沈みました。ステッキは折れていましたが、彼自身がヘンリー・ジキルに贈ったものであることが彼にはわかったのです。刑事はそのステッキを拾いあげました。
「やつは逃げましたね」 と、彼は言いました。「しかし逃げきれませんよ。だいじょうぶですとも──我々はやつをみつけますよ」

 次の日の朝、アタソン氏は緊急にへンリー・ジキルを訪問しました。プールが彼を家の中に入れ、中庭を横切って家のうしろにある建物に案内しました、そこにジキル博士が書斎と実験室を持っていたのです。ジキル博士は書斎にいて身を丸くして火にあたっていました。彼はひどく具合が悪そうでした。
「君、ダンヴァス・カルー卿のことを聞いたかい?」 と、アタソン氏はたずねました。
博士はうなずいて身ぶるいしました。

 「カルー氏は私の依頼人だった」 と、弁護士は言いました 「しかし、君もそうだ。ハイドが彼を殺した、彼は怒り狂って殺したんだ。君はやつをかくすなんて気違いじみたまねはしないでしょうね」
「アタソン、私は二度と彼に会わないと誓うよ」 と、博士は叫びました。
「すべては終った。よく聞いてほしいんだ、彼のうわさを二度と聞くことはないだろう」
「そう願いたいね」 と、弁護士は厳しい口調で言いました。「あの事件が裁判にかけられたら、君の名前も法廷に持ちだされることになるかもしれないよ」
彼はためらってから、ひとつ質問をしました。
「教えてほしいんだ、ジキル──遺言状にすべてをハイドにゆずると書かせたのはハイドなのか?」
博士はゆっくりとうなずきました。
「思ったとおりだ!」 と、アタソン氏は叫びました。「やつは君を殺すつもりだったんだ。あぶないところだったな」
「それだけじゃないんだ、君」 ジキル博士は手の中に顔をうずめました。
「ぼくがどんな教訓を得たことか」

 時がたちましたが、ダンヴァス・カルー卿の殺害犯人はみつかりませんでした。エドワード・ハイドの過去についていろいろの話が語られ、彼の残忍性や凶暴性、彼の奇妙な友人たち、邪悪な生活などが話題になりました。彼を取り巻いているのは憎悪以外の何ものでもないようでした、その男のことをよく言う人は1人もいませんでした。ロンドンじゅうの人たちが彼を探しましたが、彼はあたかもこの世に存在しなかったかのように、消え失せてしまったのです。
アタソン氏の警戒心もうすれはじめていました。ハイド氏の影響がなくなって、ヘンリー・ジキルの生活も平常にもどりました。彼は友人たちに会い、熱心に仕事をし、多くの人びとに善行をほどこしました。2か月以上もの間、彼は以前の彼にもどりました。アタソン氏もほっとしました。
やがて、突然ジキル博士は実験室に閉じこもってしまいました。

 1週間の間、毎日アタソン氏はジキル博士を訪問しましたが、博士は会うのを断りました。心配になって、弁護士はラニョン博士を訪れました。
アタソン氏は、ラニョン博士の変りようにショックを受けました。彼はやせて顔色も悪く、年よりじみて、疲れているように見えました。何かを深く恐れている様子が、目つきにも挙動にも表れていました。
「私はひどいショックを受けたのだよ、アタソン君」 と、彼はささやくように言いました。「私は回復できないと思う」
アタソン氏は彼の腕にふれました。
「ジキル博士も病気なんだ」 と、彼は言いました。「彼に会ったかい?」
おどろいたことには、ラニョン博士の顔色が変り、ふるえる手を差しあげました。
「ジキル博士には会いたくもないし、彼の話なんか聞きたくもない」 と、彼は大きなふるえる声で言いました。

 「彼とは絶交だ、彼は死んだものと思っている。いつかは君にもわかるだろう、アタソン君。今はそのことについては話せないんだ」
それから2週間もたたないうちに、ラニョン博士は亡くなりました。葬儀のあと、アタソン氏は机の前にすわって、ラニョン博士がアタソン氏あてに残していった封筒を悲しげに開けました。その中には、さらにもう1つ、厳重に封印した封筒が入っているだけでした。その封筒の上には 「ヘンリー・ジキル博士の死亡または失踪時まで開封するべからず」 と書かれていました。
アタソン氏はあえぎました。彼は今読んだことを信じることができませんでした。
ここにもまた、あの気違いじみた遺言状の中にあるのと同じように、失踪という不吉な考えがジキル博士の名前と結びついていたのです。遺言状の中にも、その言葉が使われていました。ラニョン博士によって書かれたものだとすると、これはどんな意味があるのでしょうか。
アタソン氏は封筒を開けたくてたまりませんでしたが、ラニョン博士の遺志を尊重しました。

 彼はその封筒を金庫の一番奥にしまいました。
時が移り、アタソン氏はもう一度ジキル博士に会おうとしました。執事のプールは、ジキル博士が何か思い悩んでいるようだと言いました。博士は四六時ちゅう実験室の建物の中で過し、眠るのもその中でした。彼は誰とも会うのを拒絶し、召使とも会いませんでした。アタソン氏の訪問も数少くなり、それも止んでしまったのです。
ある日曜日のこと、アタソン氏はエンフィールド氏と例の散歩をしました。彼らは店が並んだ小さな通りを歩いていきました。実験室の戸口に着くと、彼らは立ち止まりました。
「ジキル博士はどうしているかな」 と、アタソン氏が言いました。彼らはうしろに下がって、実験室の窓を見上げました。

 おどろいたことに、ジキル博士が窓辺にすわって悲しそうに外を見ているではありませんか。顔は青白く、アタソン氏は博士をたいへん気の毒に思いました。
「ジキル」 と、彼は呼びかけました。「気持のいい日だ──散歩に出てこないか」
ジキル博士は首を横に振りました。

 「やめておこう」 と、彼はかすかに微笑して言いました。「しかし、君に会えてとてもうれしいよ、アタソン。そこで少し話していかないか」
しかし、そう言い終らないうちに、笑いが消えて、恐怖と絶望の表情に変ったのです。その突然の変化に下にいる2人は血も凍る思いでした。窓はすぐ閉められ、ジキル博士は姿を消しました
2人はひと言も言わずに引き返しました。次の通りに着いてはじめて、彼らは顔を見合せました。
「何かおかしい」 と、アタソン氏は重々しく言いました。
ある晩、友人たちと暖炉のそばにすわっていたとき、ジキル博士の執事のプールの訪問を受けて、アタソン氏はびっくりしました。

 「ジキル博士のことなんですが」 と、彼は低い声で言いました。「博士が書斎に閉じこもっているのはご存知ですね。ところで、私はここ1週間ほど心配しどおしで、もうこれ以上耐えられないんです。いっしょに来てくださいませんか。何かひどいことが起ったように思うんです」
アタソン氏はとびあがりました。
「ひどいことだって」 と、彼は叫びました。「すぐ行こう」
彼らは静かな通りをとおってジキル博士の家へと向かい、中庭をぬけて実験室の建物へと急ぎました。へンリー・ジキルは書斎の中にいて、ドアには鍵がかけられていました。プールがノックしました。

 「アタソン氏がいらっしゃいました、旦那さま」 と、彼は呼びかけました。
声が中から答えました。
「誰にも会えないと伝えてくれ」
「はい、旦那さま」 と、プールは唇に指をあてて、アタソン氏をそっと中庭に連れだしました。そこで、彼は弁護士の目をじっとみつめました。
「あの声をお聞きになりましたか、アタソンさま」 と、彼は言いました。
「ジキル博士の声のようでしたか」
「わからないよ、プール」 と、アタソン氏は心配そうにまゆをひそめて言いました。
「あれは私のご主人ではありませんでしたよ」 と、プールは言い張りました。「彼が話すのを聞いてから1週間になります。私は──ご主人が殺されたのだと思っています。しかし、ご主人のかわりに誰があそこにいるのでしょうか」

 「おまえはジキル博士が殺されてしまったというのかね」 と、アタソン氏はたずねました。「もし彼が殺されたのなら、殺人者はあそこにはいないだろうよ。そんなことはおかしいもの」
「お聞きください、アタソンさま。先週ずっと、彼か動物かなんだかわかりませんが、要するにあの部屋にいる者は薬をほしがって、大声をあげていたのです。ジキル博士はときどき紙に注文を書いて私に置いていくのです。この1週間くらいずっと──何かの薬品を買いに薬問屋に行ってくれという注文の紙ばかりでした。私がその薬品を買ってもどってくるたびごとに、不純物で役に立たない、という紙が置いてあり、私はまた別の薬屋に買いに行かなくてはなりませんでした。その薬品がどうしても必要なようなんです」 と、執事はすがるように言いました。
アタソン氏は心配げに執事をじっとみつめました。
「薬をほしがっているのはたぶんジキル博士だろう。病気なのかもしれない」
プールは頭を振りました。「あそこには誰かほかの人がいます」 と、彼は言いました。

 「今日、私はだしぬけに入ってきて、あの男が実験室から書斎へ走りこむのをちょうど見かけたのです。ご主人さまは背の高い、りっぱな体格をしてらっしゃいます。あの男はまるで小人みたいでしたし──覆面をしていたんです。あれはジキル博士ではありません」
アタソン氏は決心しました。
「それではドアを打ちやぶろう」 と、彼は断固として言いました 「そして中にいるのが誰なのかたしかめよう」
プールは重い斧を取ってきて、そして彼らは書斎の戸口に忍びよりました。中では歩きまわっている足音がし、また悲しげなうめき声も聞えました。

 「ときどき、あいつは地獄におちた霊魂のように泣くんです」 と、プールはささやきました。
「ジキル、中に入れてくれ」 と、アタソン氏は大声で呼びかけました。
「それはできない」 と、中からうめくような声がしました。「アタソン、許してくれ」
「おまえの言うことは正しいよ、プール」 と、弁護士は言いました。「あればジキルの声じゃない。今わかったよ──あればハイドの声だ。ドアをぶっこわせ」
召使は重い斧をふるいました。建物全体がふるえました、しかし鍵はこわれませんでした。気味の悪いきしむ音が中から聞えました。斧は何回も何回も打ちおろされました。ドアはたいへんがんじょうでしたが、とうとうこわれて内側へ倒れました。
アタソン氏とプールは中をのぞきこみました。部屋の中はランプに照らされていて静かでした。暖炉には気持のいい火が燃え、やかんがちんちんと音をたてていました。暖炉のそばにはお茶の用意がしてありました。
エドワード・ハイドが床の上に倒れていました。ハイドは彼には大きすぎる服、ヘンリー・ジキルのものらしい服を着ていました。彼らが見下ろしていると、断末魔の発作が彼の顔を走りました。彼は死んだのです。手にこわれた薬びんを持っていたので、毒薬を飲んだのだとわかりました。

 ジキル博士の形跡はどこにもありませんでした。
「ご主人さまはどうなさったのでしょう。どこにおいでなのでしょう」 と、プールは叫びました。
アタソン氏はゆっくりと頭を振りました。彼には答えることができませんでした。

 ジキル博士の机の上に封筒がのっていました。それはアタソン氏あてのものでした。重い心で、彼はそれを開きました。すると手紙が落ちました。
弁護士はそれを取りあげました。それはジキル博士自筆のもので、上部には日付が書いてありました。
「ああ、プール」 と、アタソン氏は叫びました。「ジキルが自分でこの手紙を書いたんだ。彼は今日ここにいて生きていたんだぞ」 彼は手紙を読みました。

親愛なるアタソンへ
君がこの手紙を読むころには、私はもういないでしょう。私の告白はこの手紙に同封してあります。これを読む前に、まず、ラニョンが君にあずけておくと言っていた手紙を読んでください。
君にふさわしくない不幸な友
へンリー・ジキル

 「あの封筒の中に、何かほかのものがはいっていなかったかね」 と、アタソン氏はたずねました。
「ここにございます」 と、プールは何か所も厳重に封をした包みを渡しました。アタソン氏はそれをポケットに入れました。
「今のところは何も言うなよ、プール」 と、彼は言いました。「おまえの主人が死んだにしろ、逃げたにしろ、まだ彼の名を傷つけずにおくことはできる。私は家に帰って、静かに手紙を読んでくる。できるだけ早くもどってくる、それから警官を呼ぼう」
アタソン氏は街路灯のともっている通りを、頭をたれ、重い足どりで家に帰りました。彼はラニョン博士の手紙とへンリー・ジキルの告白が、ことの次第をすべて説明してくれるだろうと思いました。

 自分の書斎にもどると、アタソン氏は金庫を開けて、ラニョン博士の手紙を取りだしました。封を切って、彼はすわってそれを読みはじめました。
「四日前のこと」 と、ラニョン博士の手紙は書かれていました 「私はジキル博士から奇妙な手紙を受けとった。その手紙には、生死にかかわる問題として、私に2つのことをしてくれと書いてあった。まず、私はすぐに彼の書斎に行って、机のひきだしを中味ごと取りだして、それをキャヴェンナイッシュ・スクウェアの私の家まで安全に持ってくること。次に、真夜中にひそかに訪ねてくる男にそのひきだしを渡すというものだった。
私は、彼は気が狂ったのだと思った、しかし友情のために、私は頼まれたとおりにした。私はひきだしをみつけ、それを持って辻馬車で帰宅した。
たしかに時計が12時を打つと、小柄な男がやってきた。彼の服はぜいたくで仕立もよかった、しかし彼にはあまりにも大きすぎた。ズボンは地面に引きずらないようにまくり上げてあったし、上着も肩にだらしなくかかっていた。普通の人だったら、そんな格好はおかしくて笑いたくなるところだろう。しかし私は男を笑えなかった、男の顔に恐怖と嫌悪を感じさせるものがあったからだ。私は彼を書斎に案内し、ひきだしを渡した」
「その男は安堵のあまりすすり泣きながら、ひきだしにとびついた」 と、ラニョン博士の手紙は続いていました。「彼が興奮してあごをひきしめ、歯をカチカチ鳴らしているのが聞こえた。私は血も凍る思いだった。ひきだしから彼は散薬の包と、血のように赤い液体がはいっているフラスコを取りだした。

 男は注意深く、散薬を少し液体に混ぜた。それは沸騰し、フラスコからは蒸気が出てきた。水薬は紫色に変り、次に緑色に、それから黄色に変った。訪問者はフラスコを取りあげ、私の方に向いた。気味悪くニヤッと笑って、彼は言った『ラニョン、君の科学に対する考えは狭いよ。君は君以上のことを知っている人たちを嘲笑してきた。さあ、よく見ていてくれ』
男はフラスコを口もとに持っていき、ひと息に飲みほした。叫び声が聞えた。彼はよろめいてテーブルにしっかりとつかまった、そしてあえいだ。
私がじっと見ていると、彼の顔は黒くなり、ふくれあがるように見えた。彼の姿はとけ、変化した。
次の瞬間、私は椅子からとびあがった、腕をあげてこの恐ろしいものから身を守ろうとしながら。私の眼前に、死からよみがえった人のように青ざめ、ふるえながら立っていたのは、ヘンリー・ジキルだった。
そのとき彼が話したことを書きしるすことは私にはできない。私の心は痛み、私の生命も根底から揺さぶられた。私の家にこっそりと入ってきて、私の目の前でヘンリー・ジキルに変身した男こそ、ほかでもない、カルー殺害の犯人として国じゅうに手配されているエドワード・ハイドだったのだ。         ──ヘイスティー・ラニョン

「私にはとても信じられない」 と、アタソン氏は叫びました。顔をショックで蒼白にして、彼はラニョンの手紙を下に置きました。

 ジキル博士の書斎から持ち帰った包を取りだして、彼はそれを開けました。中に入っていた手紙は長く、ヘンリー・ジキルと署名してありました。
そこには奇妙な恐るべき話がしるされていました。
「私は裕福な家に生れた」 と、ヘンリー・ジキルの話は始まっていました。
「しかし私は熱心に勉強し、私の前には名誉ある輝かしい未来が開けていた。私は他人から尊敬されることをあまりにも重く見たので、二重生活と呼ばれるような生活をするようになった。一方では、ロンドンじゅうに知られ尊敬されるまじめで正直なヘンリー・ジキルとして。また他方では、他人の思わくを恐れて自分の享楽をかくす陰の人間として。実際、私は自分の享楽をはずかしく思っていた。

 大人になるにつれて、私の性質が他の人たちよりもずっと深く善と悪とに分れているのを私は悟った。私の生き方と科学的研究を通じて、人間は本来は1人ではなく、2人なのだという結論に達した。
私は自分の性格の一方が私の真の私ではなく、両方が私なのだということを私は悟った。私はその2つを分離することを夢みた。もし私の中のどちらの側も独自に存在し得るようになれば、人生はずっと楽になるであろう。正しくない性格はその独自の道を行けばいいし、正しい性格もその独自の道を行けばいい、そして一方は他方の邪魔をしないようにする。これら2つの性格を分離することは可能であろうか。
実験室で研究を進め、私は私自身の第二の形を生みだすであろうと思われる薬の発見に成功した。私はそれを試す前にためらった。死の危険をおかすことはわかっていた、私が変えようとしている自分の体そのものを破壊してしまうかもしれなかったからである。しかし好奇心があまりにも大きく、心配にうちかった」

 「ある夜おそく」 と、ヘンリー・ジキルの手紙は続いていました 「私は薬を調合した。私はそれがフラスコの中で沸騰し蒸気を出すのを見守った。それがおさまると、私は飲んだ。激痛がおそった、骨が砕けるような痛み、精神の恐怖があった。その苦痛はすぐ薄らぎ、私は正気にもどったが、ずっと気分が軽くなり、楽しく、体も若返ったようだった。すぐに私は邪悪になったが、その感じは私を喜ばせた。

 私は鏡を見て、初めてエドワード・ハイドと対面した。彼はヘンリー・ジキルより小柄で若かった。ジキルの顔には善意が輝いていたが、ハイドの顔には悪意がはっきりとしるされていた。すべての人間は善と悪とが混じりあったものだが──エドワード・ハイドだけは純粋の悪であった。しかし鏡の中の顔をじっと見たとき、初めて会ったような気がしなかった。これもまた、私なのだ。
次に第二の実験があった。私はもとの姿にもどれるであろうか。私はまた薬を飲んだ。前にも増して苦痛がおそった、しかし私はヘンリー・ジキルとしての私にもどった。

 その夜、私は分岐点に立っていた。実験をやめることもできたし、続けることもできたのだ。興奮して、私は続行を選んだ。今や私は2つの性格を持ち、2つの外見を持った。私はソーホー街の家を手に入れ、遺言状を作った、運悪くエドワード・ハイドの体のまま、もとにかえれない場合を考えてであった。私の中の善は眠った。あの薬を飲みさえすれば、有名な教授の肉体を脱ぎすてて、上着を着るようにエドワード・ハイドの肉体を身につけることができた。私の中の悪がエドワード・ハイドとして姿を現し、邪悪な生活を楽しんだのである。私は完全に安全だった。私は好きなことができた。考えてもごらん──エドワード・ハイドは実在しないのだから。

 へンリー・ジキルはエドワード・ハイドの所業に恐ろしくなるときもあった、そして、彼のした行為を償おうとしたこともたびたびだった。しかし彼の良心は眠っていた。結局ハイドが、ハイドだけが悪いのであって、ヘンリー・ジキルが悪いのではないのだ。
やがて事態は悪化した。私が変化をコントロールできなくなりはじめたのだ。私はヘンリー・ジキルとして寝ていた。すると翌朝目を覚すと、ふとんの上にエドワード・ハイドの毛むくじゃらの手を見るようなことが起きてきた、一晩のうちに変身してしまったことに私は気がついた。邪悪なエドワード・ハイドが善なるへンリー・ジキルよりも強くなったのだ。私は徐々に善なる自己を失いつつあり、そしてもっとも邪悪な自己になりつつあったのだ。私は善良な博士を選ぼうと決心した。2か月の間、私は薬をぜんぜん飲まなかった。

 やがてある日、私は誘惑にまけて、また薬を飲んでみた。私の中の悪魔はあまりにも長い間閉じこめられていたので、うなりをあげてとびだしてきた。その夜、私は怒りに気違いのようになって、ダンヴァス・カルー卿を殺した、ただ私に話しかけてきたという理由で。私は霧のなかで正気に返った、そして、もしも捕えられたら、私自身の生活も危険にさらされるだろうとわかった。私はソーホーの家に急ぎ、大事をとってすべての書類を焼きすてた。翌日、エドワード・ハイドがカルーを殺すところを目撃されていたという恐るべきニュースがもたらされた。彼は今やロンドンじゅうのおたずね者になっていた。
へンリー・ジキルの姿でいるかぎり安全だった。もしもエドワード・ハイドの姿をほんのちょっとでものぞかせれば、彼は殺人者として絞首台に送られることになるだろう。

 私は彼を忘れ去り、善良な生活を送ろうとした、しかし私の中の悪は自由を求めてたけり狂った。
ある日の午後、ロンドン公園のまん中でヘンリー・ジキルは突然エドワード・ハイドに変った。私はろうばいした。私はハイドとして家に薬を取りに帰ることはできなかった──そんなことをすれば、召使たちが警官を呼びにいくだろう。私は家にはもどらずに、誰も私を知る者のいない小さなホテルに身をかくした。私はラニョンに手紙を出して、薬を持ってきてくれるように頼んだ。
ラニョンは、私がハイドからジキルに変身するのを見た。彼の恐怖に私はうろたえた。私はもはや絞首台を恐れてはいなかった。私を苦しめたのは、エドワード・ハイドに変ることの恐怖だった。私は夢うつつでラニョンの怒りの声を聞き流し、疲れきって家に帰って寝た」

  アタソン氏はページをめくりました。彼は、このとりつかれた男を心からあわれに思いながら、読み続けました。
「そのあくる朝、私はヘンリー・ジキルとして目を覚したが、すぐにエドワード・ハイドになってしまった。もとの姿にもどるために、薬はいつもの2倍必要だった。その日以後、私は眠るのが恐ろしかった。目が覚めると、私はいつもエドワード・ハイドになっていて、その心は怒りと憎悪でにえたぎっていた。ハイドの力が強くなるにつれて、ヘンリー・ジキルの善が弱まり、負けてしまったのだ。
さて、最悪のことが起った。私は私自身の顔や肉体から、さらに私の性質からも切り離されてしまった。私が薬の中に使っていた薬品がなくなってしまったのだ。プールはきみに、その薬品を求めてロンドンじゅうに使いにやらされたと話すだろう。彼が新しい薬品をもち帰るたびに、私は薬を調合した。しかし効き目はなかった。私は今になって、最初に用意した薬品が不純物だったとわかった。その不純物こそ薬に効力を与えたのだ。

 私はもともとの薬品の最後の残りの力を借りてこの手紙を書いている。
まもなく私はエドワード・ハイドに最後の変身をするであろう。へンリー・ジキルの姿がふたたび見られることはないであろう、そしてそのことについて、私は何もすることができない。邪悪なエドワード・ハイドさえも、我々2人の上に運命が閉じられようとしているのを知っている。彼はしばしばすわって絶望のあまり泣いている。
今、エドワード・ハイドはどうするであろうか。彼は捕えられてダンヴァス・カルー卿殺害のかどで絞首台に送られるであろうか。それとも、自分でその人生に結末をつけようと決心するであろうか。
私にわからない。それでは、ここで私はペンをおく。不幸なヘンリー・ジキルの人生は終った」


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