オンラインブック せかい伝記図書館
塙保己一 1/7

5歳のときに光を失って

 「番町で目あきめくらに道をきき」という川柳があります。この川柳は、いまから200年ほど前に、江戸(東京)の番町というところで塾を開いていた、塙保己一という盲目の学者のことを、おもしろくよんだものです。

 この川柳の「道」とは、目的の場所へ行くときに人にたずねる道以外に、もうひとつ、学問の道という意味がふくまれています。ほんとうは、目の不自由な人が目の見える人に道を教わるのがふつうなのに、番町では、目の見える人が盲目の保己一に教わったという意味です。

 保己一は、まったくの盲人でした。ところが、おおくの書物を世にだし、日本の古い貴重な書物を集めた『群書類従』という大きな全集を作りあげました。目の見えない人が、たくさんの書物をまとめたという話は、世界じゅうをさがしても、ほかに見あたりません。では、保己一は、どんな人だったのでしょうか。

 保己一は、1746年5月5日、武蔵国(埼玉県)児玉郡保木野村の農家に生まれました。初めの名は寅之助、そのご何度も名まえをかえています。

 明るい太陽がふりそそぐ野山にかこまれて、保己一はすくすくと育っていきました。ところが、5歳のころ、重い病気にかかってしまいました。そして、何日も高い熱がつづいて体が弱っていくうちに、しだいに視力がおとろえ、やがて光を失ってしまったのです。

 父も母も、なげき悲しみました。よい医者がいると聞けば、保己一を背負ってたずねて行き、目にきく薬があると聞けば、金を惜しまずに買い求めました。神や仏にすがったことも、名まえをかえてみたこともありました。しかし、ついに、保己一の目に光はもどりませんでした。


もどる
すすむ