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小林一茶 1/5

雪深いふるさと

 俳句は、世界でもっとも短い形の詩といわれ、四季の風物をよみこむ日本独特のものです。日本人なら、たいていの人が、1句や2句は作ったことがあるはずです。

 この世界で、3大俳人といわれるのが、松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶です。いずれも江戸時代の人で、とくに、一茶の俳句は、子どもからおとなにまで親しまれています。それは、今もむかしも変わることのない人びとの暮らしや、子どもの心や、スズメ、カエルなどをよんだ句がおおく、身近な共感をよぶからでしょう。

  やせがえるまけるな一茶これにあり

  すずめの子そこのけそこのけお馬がとおる

  名月をとってくれろとなく子かな

 一茶のこんな句には、童謡のようなおもしろさがあります。

 小林一茶は、1763年5月5日、信濃国柏原(長野県上水内郡信濃町)に生まれました。飯綱、黒姫、妙高の山やまにかこまれ、近くには野尻湖があります。けしきの美しい柏原は、北国街道の旅人のための宿屋が集まっている宿場のひとつで、旅人や商人、それに越後(新潟県)から魚や塩を運んできた馬などで、たいへんなにぎわいです。

 しかし、冬になって、雪がふり始めると、村の家いえは深い雪の下にうずもれ、人や馬の往来もまったくとだえてしまいます。人びとは、ひたすら春のくるのを待って、長い冬をひっそりと、すごすばかりでした。

 一茶というのは、句を作るときの名前で、本名は信之です。父の弥五兵衛は農業のかたわら、馬で荷物を運ぶ仕事もしていました。

 3歳のとき、母が死んで、一茶は祖母の手で育てられました。祖母は一茶をかわいがってくれました。あまりかわいがられすぎたせいか、一茶には友だちができません。村の子どもたちは、一茶をみると、からかってはやしたてました。

 「親のない子はどこでも知れる、つめをくわえてかどに立つ」
 
 一茶は、いつもひとりぼっちで、家のうら山の畑にかがみこんで1日をすごすことがおおかったのです。

 そのころのことを思い出して、一茶はこんな句をよんでいます。

  われと来て遊べや親のないすずめ


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