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北里柴三郎 1/5

破傷風菌の純粋培養に成功!

イラスト 北里柴三郎は、1889年に破傷風菌の純粋培養に成功し、さらによく年には、この菌の毒を消す抗毒素を発見して、血清療法の基礎をつくった細菌学者です。これは日本の医学界では初めての、世界的な偉業でした。
 1885年、32歳でドイツへ留学した柴三郎は、ベルリンのコッホ研究所に入って学びました。コッホは、炭疽病、結核菌、コレラ菌を発見して、のちにノーベル生理・医学賞を受賞した、偉大な細菌学者です。
 柴三郎が、そのコッホのもとで破傷風の研究を始めたのは、留学して、2年たってからのことです。柴三郎は「下宿と研究所をむすぶ道しか歩いたことがないだろう」と、うわさされるくらい勤勉で、たちまち、コッホにみとめられるようになりました。
 日本からやってきたひとりの医学者が、世界の一流の学者が苦心に苦心をかさねてもできなかった、むずかしい研究にとりくめたのも、柴三郎を見つめる、コッホのあたたかい目があったからです。
 破傷風は、けがをした傷口から病原菌が入り、しばらくすると、はげしいけいれんをおこし、放っておくと命もうばわれてしまうという、おそろしい病気です。
 すでに、伝染病であることはつきとめられ、ドイツのニコライエルによって、病原菌も発見されていました。しかし、ニコライエルの発見した菌には、ほかの菌もまじっていて、純粋な破傷風菌ではありませんでした。
 それまでに、結核やコレラなどは、その菌だけをとりだして、人工的に増殖させる純粋培養に成功していましたが、破傷風菌だけはなぞにつつまれ、この菌の純粋培養は不可能ではないかと、発表した学者もいました。
 柴三郎は、そんな学者の弱い考えをはねのけて、ひとりで研究を始めたのです。研究所の人びとには、日本人がむだなことをやっているというような目つきで見られました。しかし、生まれつき負けん気の強い柴三郎は、どんなことにも、おじけることはありませんでした。
 やがて柴三郎は、ゼラチンに針で菌をうえつけて観察をつづけるうちに、破傷風菌だけは、空気をきらって、奥のほうにふえることをつきとめました。
 また、菌に熱を加える実験で、菌がどれくらいの温度まで生きているかをたしかめました。そして研究を始めて2年めに、このふたつの方法を利用して、ついに破傷風菌の純粋培養に成功したのです。


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